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メッセージNo.114 時代遅れのセラピスト

 先日、夜中に「時にはリハビリ関係の論文も読まないと時代遅れのセラピスト」と呼ばれそうなので、ある論文を読んだ。ネットで調べているとGrefksらの「Recovery from stroke: current concepts and future perspectives,Neurological Research and Practice,vol.2, 17,2020」が目に止まった。

 脳梗塞患者412名の上肢の運動機能の回復経過を追って、その回復の予測について研究した論文である。図を見てほしい。縦軸の上肢の運動機能の回復レベルは「FMA(ヒューゲルメイヤーアセスメント,fugl meyer assessment)」で評価されている。この評価の項目には手の回復も含まれている。横軸は発症からの時間(週)で35週まで追跡されている。論文は予測がどの時点でどの程度まで可能かを論議していて5つのグループに区分している。「回復が良好なグループ」、「中程度の回復グループ」、「回復しないグループ」の3つに区分してもいいように思う。「回復が良好なグループ」は機能解離(ディアキーシス)からの回復であろう。「中程度の回復グループ」には時間の経過とともにかなり高いレベルにまで回復する症例と、回復はするもののレベルはそれほど高くない症例の2つのパターンがあるようだ。「回復しないグルーブ」は錐体路(皮質脊髄路)が強く損傷されているのだろう。

Grefks:Recovery from stroke: current concepts and future perspectives,Neurological Research and Practice,vol.2,17,2020
Grefks:Recovery from stroke: current concepts and future perspectives,
Neurological Research and Practice,vol.2,17,2020


 この図を眺めていると、さまざまな患者たちの顔が浮かんできた。どの症例もどこかのグループに入るからだ。もう少し回復できたのではないかと思ってしまう。なぜなら、全体的に回復の上昇度が高い印象を受けるからだ。かなり回復の可能性を示唆するデータだと思った。これはリハビリテーション(運動療法)の学習効果を反映しているのではないかと思った。
 そこでどんなリハビリテーション(運動療法)が行われたのだろうかと思いながら内容を読むと、何とリハビリテーション(運動療法)は予後予測に影響を与えるものではなかったということで、今回の研究では影響が調べられていない。つまり、上肢の運動機能の回復は「自然回復」であるかのように解釈されている。もちろん、リハビリテーション(運動療法)を否定しているわけではないが・・・
 この研究は上肢の運動機能の回復の現実を反映しているとは言えるが、この現実は別に目新しいものではない。臨床で働くセラピストならそれを日々実感しているはずだ。日本には服部、福井、二木といった立派な予後予測研究の歴史もある(学生時代によく読んだ)。
 自然回復を越える回復を目指すセラピストなら「この現実を変えるために研究をつづけている」と言うだろう。僕としては「どの回復グループであっても、一人ひとりの患者に必要なリハビリテーション治療はたくさんある」と言っておきたい。あるいは、「回復の夢は決して捨てない」と言っておきたい。
 たとえ、「回復が良好なグループ」であっても、そこからさらに回復させるのはリハビリテーション治療によってである。たとえ、「中程度の回復グループ」であっても、どのようなリハビリテーション治療を行うかによって回復レベルは違ってくる。たとえ、「回復しないグルーブ」であっても、何とかその運動機能で生き抜くことに貢献するリハビリテーション治療というものがある。
 もちろん、この論文を批判するつもりはない。ただ、この種の研究をする科学者たちに僕が伝えたいのは、リハビリテーション治療が運動の意味や価値をつくり出している点だ。それは回復を点数化してもわからない。それは一人称言語記述によって明らかになる。久しぶりにリハビリ関係の論文を読んで、「一体、いつ時代は変わるのか」と、時代遅れのセラピストは思った。

 リハビリテーションは「人間の学習」である。人間の学習を数値で計測しても、その意味や価値はわからない。ペルフェッティは「笑顔はどうやって計測するの?」と問うている。認知神経リハビリテーションは一人ひとりの個人の学習を探求する。学習は回復を目指す。だが、それだけではない。学習は自己を変える力を秘めている。 

 もうすぐコロナの時代が変わりそうだ.
 時代遅れのセラピストは回復(=学習)の夢を見る

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