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ある人に「幻のプロローグ」を送った。それは「認知運動療法入門」のプロローグとして書かれたものであったが、最終的に使用しなかった文章である。理由は、何となく知ったかぶりしているみたいでで、そうした書き方が恥ずかしいという抑制が働いたからである。パソコンの中に眠り続けていたが、事情があってある人に送ったので、この際公開しようと思う。文中の図2(ミケランジェロのダビデ像の写真)だけが、「認知運動療法入門」の「身体の捉え方、運動の見方」の章に使われている。本来なら、このプロローグから始めて、このダビデ像に繋げるつもりだった。また、同書、第2部「認知運動療法の歴史」P164では、「リハビリテーション・ルネサンス」という言葉を使っている。ルネサンスは中世の暗黒世界からの再生を意味する。つまり、リハビリテーションの現在は、まだ暗黒の世界だという比喩(メタファー)を使っている。閉眼して治療する認知運動療法が暗黒世界の光であると言っている。これを詩的な表現と受け取るのではなく、科学的な表現と受け取ってほしい。そうでなければ、本当の意味が伝わったことにならない。
2003.8.6
ルネサンスは、13世紀から14世紀にイタリアの都市国家Firenzeで開花した芸術である。フランス語の「ルネサンス(復興,再生)」は、中世から受け継がれていた価値観からの大転換を意味し、近代ヨーロッパ文化の幕開けを指す。そして、この思想的な価値観の大転換には人間の「身体(corpo)」に対する捉え方が大きく関わっている。
中世はキリスト教社会であり、肉体は欲望と悪徳の源泉であるとされていた。一方、魂は生命の源泉で、神の意志を受け継ぐ存在であった。これに対してルネサンスの人々は、古代ギリシャの人体彫刻から、人間の肉体、すなわち身体の美しさを再発見した。その素晴らしさに感銘し「神は己の身体に似せて人間を創造したのだから、人間のこの美しい肉体も大いにたたえるべきだ」と考えたという。
その結果、哲学の分野では、人間の身体と精神の関わりが考察されてヒューマニズムが高らかにうたわれるようになり、芸術の分野においては、自然や人間をありのままに表現しようとする試みが始められた。
しかし、ルネサンスの芸術家たちにとって、人間の身体を表現することは単なる抽象的な<美>の問題ではなかったようである。それまでの絵画の理論書には「身体を描くときは、まず最初に骨を描き、次に腱と筋を加え、最後に皮膚で被う」と記されていたが、当時の画家たちは、この理論に従った方法で身体を描かなかった。彼らは、遠近法や明暗法といった技法を理論的に研究し、身体の有機的構造や運動様式を表現しようとした。
具体的には、14世紀の初期ルネサンス絵画では、平面の二次元的表現を超えて、立体的な三次元的深みを描こうとする努力がなされ、15世紀前半には、その三次元表現がより現実的形態と人間的表情を漂わせるように変化してくる。そして、15世紀後半、天才芸術家Leonard da Vinci(1452−1519)の出現により、ルネサンス絵画の身体表現は最盛期を迎える。
ルネサンスが生んだ最大の画家であるLeonard da Vinciは「すぐれた画家には描くべき2つのものがある。それは人間とその内面である」と述べている。彼の身体のプロポーションへの興味は、物質世界の秩序と調和に対する確信から生じていると言われる。身体の運動性と精神の内面性を互いに結びつける方法論の探求が、眼に見える人間の外観的な身体の<美>という問題を越えて、医学研究にまで及んでいたことは、後世に残された「人体解剖図」を見れば明らかである。
また、彼の絵画表現における目論見は、運動する身体の一瞬しか描けない絵画の限界を超えて、絵画自体の空間を変容させることにあった。絵画は2次元平面上での線と色彩との相互作用によって創発される完璧な3次元空間として描かれている。この空間の創発が身体の空間的、時間的、強度的リアリティを生み出し、絵画を劇的な人間存在の精神性にまで昇華させていることは、晩年の傑作から感じ取ることができる(図1)。
一方、歴史上の哲学者たちがこうした空間の創発について本格的に考え始めたのは、ニュートンによる「絶対空間説」以降であり、Berkeley(1709)の「視覚新論」における視覚は触運動覚がなければ成立しないとする特異的な考察を例外として、ルネサンスから約250年後にKant(1768)が絶対空間と身体との関係についての詳細な論考を残している。しかし、「心的空間」という脳の認識の問題が論議されるようになるのはJames(1890)以降の「心理学(psychology)」の出現を待たねばならず、小児の空間認知の発達を「学習」という視点から研究したPiaget(1936)の業績によってその重要性が医学領域においても認められるようになった。さらに、医学の世界において人間の空間認識の問題がニューロン・レベル研究されるのは、1970年代の「脳科学(brain science)」誕生以降である。芸術家の創造力は、いつの時代にも科学に先行しているのではないだろうか。
もうひとつの特徴的な例を示そう。Firenzeのアカデミア美術館には、ルネサンスが生んだ天才彫刻家Michelangelo Buonarroti(1475−1564)の傑作「ダビデ像」が立っている(図2)。この彫刻の頭部と手のプロポーションが大きすぎるのは偶然ではない。青年の頭部は英知の根源として、手は道具を使う行動力の象徴として、意識的に大きく作られている。
医学において、脳の中の身体、すなわち大脳皮質の運動野や感覚野にはホムンクルスhomunculus,=小人)と呼ばれる「身体部位再現(representation)」があり、その脳地図に占める顔や手の領域が広いという事実が実証されるのは、それから約300年後のことである。FritschとHitzing(1870)は、イヌの大脳皮質を電気刺激することによって手足の筋収縮が誘発できることを実証し、Penfield(1952)が人間において確認してホムンクルス説を有名にした。しかし、Kass(1991)の手の領域のニューロン・レベルでの可塑性に関する研究が契機となって、現在では脳の身体部位再現は複数あり、それは身体と環境との相互作用により可変的であることが明らかにされつつある。ダビデ像のプロポーションは、脳の中の身体を反映していると解釈することができるのではないだろうか。Michelangeloも、脳に何が表像されているかを考えていたに違いない。
プロローグに、こうしたある意味ではロマンチックなメタファーをもってきたのは、決してファッション的な意図からではない。ルネサンスの芸術家達が、崇高な意志と探求心によって、新しい身体を創造し、その身体に精神性を与えたこと。その奇跡的な作品から人間の「創造力」の本質の一端を学ぶことができるからである。つまり、リハビリテーション医学においても身体を創造することが求められるということ。理学療法や作業療法においても、これは決して無縁ではないということを強調したいからである。
運動機能障害が生じた患者の身体を回復させてゆくこと。それは患者の新しい身体を創造することに他ならない。リハビリテーション専門家には、それを実現するための「方法の知(knowledge how,/経験の蓄積に基づいて身についたレディネス,Varela(1991))が必要である。だとすれば、ルネサンスの芸術家達とセラピストは同じ思考の地平に立っていると言えるかも知れない。イタリアで誕生した「認知運動療法(Perfetti,1971)」とは、日々の臨床における、そうした創造的な営みなのである。
「認知運動療法入門」と題された本書は日本認知運動療法研究会の中心メンバーの手によって書かれており、認知運動療法の理論的背景や臨床展開の全貌を伝えるという面では、まだデッサン程度に過ぎない。完成には程遠いが、リハビリテーションの臨床変革に向けての気持ちは込めたつもりである。
また、本書を臨床の最前線で働く若いセラピスト達に捧げたい。認知運動療法が日本に紹介されて約10年が過ぎた。彼らの認知運動療法への興味が、常に我々の支えとなっている。
著者を代表して 宮本省三
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