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メッセージNo.52  「痛みと闘う」

 古本屋で「痛みと闘う(清原迪夫著)」と題した本を百円で買った。痛みに苦しんだ患者の体験記である。患者が自らの経験を綴った本は医療者の参考になるが、この本は特異的である。なぜなら、著者は東京大学医学部付属病院の「ペインクリニック」を開設した疼痛治療の専門家(麻酔医)だからである。痛み研究の第一人者であった著者が、悪性黒色腫という癌のために右下肢を切断し、自ら痛みで苦しみながら死んでゆく運命を綴ったものである。痛みの観察者から体験者となった彼は、痛みの治療に取り組むすべての医療者に「科学で教えぬ痛みがあることを患者との対話によって知るべきだ」と教えている。本書はもう絶版となっている可能性が高いので引用しておこう1)


 「こと」の起こりは大分前のことで、裸足でテニスをやっていた頃だから、正確な時期は覚えていない。風に吹かれて転がってきた煙草の吸殻を踏んだのがいけなかった。一瞬、脳髄に響き渡るような痛みというか熱さというか、ともかくズーンときたことは、今でも生々しく覚えている。その小さな火傷の痕が何年かたった今、早晩「死に至る病」といわれる悪性黒色腫の原因になろうとは。それも、足の裏に「イボ取り膏」を貼ってイジったのが悪かった。この芸人療法が悪性化の誘因となったのである。早速に右足の切断手術と徹底したリンパ腺廓清手術が行われた。

 痛みとの闘いが始まったのは、その七時間半にも及ぶ手術が終わってからである。術後二日間は付き添い家族の記録だけで、自分の記憶もメモもない。ヘバっているときのことは忘れ去っている。

 今まで観察者の立場で長い間治りにくい痛みをもった患者さんとのつき合いをしてきた本人が、今度は痛烈な体験者になった。

 膝から下は天プラ鍋の煮えたぎった中に入れられたような熱痛で、身動きも何もできたものではない。スリッパの音も、隙間風も、シーツの触感さえも、カーテンの端から洩れる光の動きさえもが痛みをかき立てて、奈落の底の煉獄の境地、何でもよい、眠らせて欲しい、痛みを感じさせないで欲しいと願うだけだった。

 この症状は、神経損傷によるカエザルギー(灼熱痛)と呼ばれたもので、もう百年も前になろうか、アメリカ南北戦争のときの銃傷の痛みに名付けられ、その激痛をとるためにモルヒネが直行型の静脈注射で使われて、結果として多数の麻薬中毒者をつくってしまったものである。

 この痛みをできるだけ耐えてみた。深夜回診の看護婦さんは、「まだ眠れないのですか」という。本当は、あの一本の注射のあと、暗がりの心の奥の方にモザイク様のいろいろの幻視がうごめいて、この熱痛が干潮のように去ってゆく心地よさが欲しいのだが、頑張りつづけてみた。痛みを専門とする男の意地である。しかし、筆舌に尽くせないとは、こういうことか。余りに力みすぎていると、疲れ果てて軽い意識喪失に陥る。ドアのノック、目覚める。一輪の花に添えられたカードに短く添えられた見舞の言葉。その言葉はまだ覚えている。

 今は亡い、失われた足も絶えず痛む。これは幽霊病とか幻肢痛ともいわれるが、余りに痛いと失われた足の体感が朧気に現れてくる。ソッと厚い繃帯の上から断端に触れてみる。そこには幻肢感もなく、断端からトギすまされた触と痛の稲妻が走る。こうした痛みをとるものは、麻薬か局所麻酔しかないのだが、薬は効く時間が限られている。もし注射を求めても、「我慢しなさい」と言われたら、それは絶望に追いやられるしかない。

 焼火箸を握らされて氷の上に手がおかれているようだと、かろうじて話してくれた幻手痛のある人が、痛みがとれると幻の手が温かくなり、こわばりもとれてグーチョキパーができるという。

 「痛み」「しびれる」「こわばる」「めくれる」といった語感の外に、一体どれだけの訴えが言葉なりえたか。その言葉とて、どれだけ医師の共感を呼び起こすことができたか、今患者が感じ、叫び、訴える心情にどれだけ接近しえたか、激痛のときは叫びであり、言葉ではない。

 医療の手掛かりは、患者が自分の言葉で話しかけることにはじまる。このやりとりのうまくゆかないときの悲劇は、海外居住者や旅行者のエピソードをひくまでもなく、惨めなものである。言葉は、そこに住む人に根づいた原生的なものである。それなのに、なぜかこの言葉のやりとりが大切にされない。

 第一は、痛みの内容にたち入って訊きだす努力が足りないこと。痛みは症状だからといって、その成り立つしくみを堀りさげない。そこに至る過程は医学研究の一切を巻き込んだ大変な宝庫だということを気付いている人は少ない。だから、自身をもって、痛みを和らげるプログラムを組んで治療する人が少ないのである。

 第二は、自分を含めての反省である。病歴の記載に不十分な横文字が用いられすぎてはいないか。その利点もあるにせよ、こうした感覚体験の内容は、異なる生活史を背負った個人個人の訴え、話す「ありのままの言葉」をそのまま記載すべきではないだろうか。日本語、ことに形容詞の使い方の豊かな「感じ方」の訴えを安易に横文字に書き換えると、次に別人がその横文字から受ける語感や概念は必ずしも記載した人と同じであるかどうかはわからない。したがって、ここに一つの情報の誤認が生じてしまう。

 第三は、感じていることは、推察の資料にはなりえても顕微鏡にもレントゲンにも血液検査にも現わせない。科学が進歩したといっても、こうした場合、言葉ほど元手がかからず、豊かな情報源は他にはない。それなのに、何故もっと大切に取り扱われないのだろうか。

 生きていること、これは科学以前からのものであり、科学はまだ、知・情・意の世界に及んでいない。苦痛はその精神世界の問題なのである。科学とか、近代化とか自動化といった影に、一方において「あなたまかせ」にする傾向は出なかったか。訴えをよく聞かず、すぐに検査伝票を書き、また多くの検査を受けることに幻想を懐く人をつくり出してはこなかったか。

 痛むことは、何にまして最大の苦痛であり、死を前にしたときには絶対の苦痛である。最新の知識と技術を注ぎこんだとしても、「一片の言葉の端が病者の心にささったならば、その努力は泡沫に帰してしまう。

 人それぞれ人生観を異にしていても、極限の状態にあっては生死を超越した安楽を願う心に変わりはなかろう。医療は痛みに始まり、医療の終わりは痛みの終わりである。病者の傍らに座って訴えをきき、身体の痛みと心の痛みを和らげ鎮める努力をしてくれて手を握ってくれるヒト・・・、そこに病者は尊い像をみる。


 こうした痛みに苦悩する患者の体験記を読めば、いかに患者の「身体の声を聴く」ことが重要であるかが理解できるだろう。痛みへの「共感」なくして痛みの治療はできない。医療者は、共感を前提に科学的な知識と技術を適応しなければならいことを肝に銘じておくべきであろう。

文献

  1.   1) 清原迪夫:痛みと闘う.東京大学出版,UP選書,1979.
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