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メッセージNo.53  「記憶は、経験に貼りついた感覚である」

アメリカ人の俳優で劇作家のサム・シェパード(Sam Shepard)が書いた「モーテル・クロニクル(Motel Chronicles ,1983)」という本がある。この本は散文と詩のコレクションで、ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)監督の映画「パリ・テキサス(Paris, Texas ,1984)」の原イメージを与えたことで知られている。その中に、次のような散文がある。


 サウス・ダコタのラピット・シティで、母が氷をナプキンに包んでぼくにしゃぶらせた。僕はそのころ歯が生えはじめたばかりで、歯茎が氷の冷たさで無感覚になった。
 その夜、ぼくらはバッドランズを横断した。ぼくはプリマスの後部シートのうしろにある棚に寝そべって星を眺めた。窓ガラスにさわると、凍りつくように冷たかった。
 平原の真ん中に、白い石膏でできた大きな恐竜たちが輪になって立っていた。ぼくらは そこで車を止めた。そばに町はない。恐竜たちと、地面からそれを照らしだしているライトだけだ。
 母はぼくを茶色の軍用毛布に包んで抱き上げ、ゆっくりハミングしながら、そこらを歩き回った。曲は「わが心のペグ」だったと思う。自分に聞かせるように、やさしくハミングしていた。心はどこか遠くをさまよっているようだった。
 ぼくらはゆっくりと、恐竜たちの間を出たり入ったりしつづけた。足と足の間を、腹の下を、くぐり抜けた。プロントザウルスのまわりを一周した。ティラノザウルスの歯を見上げた。恐竜たちはみな、目のかわりに青い小さなライトをつけていた。
 そこには誰もいなかった。ただ、ぼくと、母と、恐竜たちだけがいた。

ホームステッド・ヴァレー、カリフォルニア,80 / 9 / 1 (畑中佳樹・訳)


 誰にも、遠い日の記憶があるだろう。脳の片隅に置き忘れているような古い記憶である。もし、呼び起こさなければ、一生想起することのない記憶が、脳の中で無数に眠っている。
 それは、脳のどこに眠っているのだろうか? 大脳皮質のどこかに、ニューロンの電気信号の組み合わせとして潜んでいるのだろうか。海馬(記憶中枢)と呼ばれる、シルビウス溝の奥深くで、いつか呼び起こされる日を待っているのだろうか。
 サム・シェパードの散文は、行為の記憶が、触覚(歯茎や窓ガラスの冷たさ)、聴覚(わが心のベグのメロディ)、視覚(プロントザウルスノ足やティラノザウルスの歯)に、感覚として貼り付いていることを教えている。

 記憶は、経験に貼りついた感覚である。
 その”感覚”に耳を澄まさなければ、僕らは人生を失ってしまう。

2012年広島学会を前に・・・

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