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メッセージNo.33  「セーキは自分で洗いますか?」

 作家辺見庸氏の「自分自身への審問」(毎日新聞社)」を読み、「セーキは自分で洗いますか?」という言葉が、脳裡に焼きついた。
 脳卒中で倒れて、病院の風呂で体を若い女性に洗ってもらう時の一瞬を切り取った、鮮やかな文章だ。
 彼の体を洗っているのは看護士か看護士である。彼女は「お湯は熱くないですかあ」とか「頭痒くないですかあ」と、優しく声をかけながら丁寧に洗っている。彼は、「半身は死んだみたいに、お湯の熱さもぬるさも感じられないのに、かつて味わったことのない至福というのか法悦のようなものが体からわいてきて、正直、その女性に手を合わせて拝みたくなりました」と書いている。
 その時、彼女が「セーキは自分で洗いますか?」と尋ねたのだ。「それは自分のグラスは自分で洗いたいですか、といった調子の、媚びるでも強いるでもふざけるでもない、ただ真面目な問いなのでした」と彼は書く。彼は、恥辱をまったく感じず、むしろ好感したという。そして最後に、「彼女は日に何人もの障害者らを洗っている。恐らく、信じられないほどの安い給料で」と結んでいる。

 僕はいつも、辺見庸氏の本からさまざまなことを学ぶ。あるいはいろいろなことを反芻する。
 今回は、先日老人病院で見た、寝たきり老人が入浴後に廊下をストレッチャーで運ばれる姿を思い出した。
 老女はマン・ヴェルニッケ肢位を取って寝ていた。上肢が屈曲し、手指を握りしめているので片麻痺だとすぐにわかった。胸から下は白いシーツで覆われていた。
 入浴後にも、痙性麻痺による異常な筋緊張が亢進しているのだ。廊下を二人の介護士に寝たままで運ばれているのを見た瞬間、なぜだろうと思った。「痙性麻痺には温熱効果もまったくないのかな」と思った。入浴しても筋緊張は緩んでおらず、リラックスしていないように見えた。その時、僕は、老女の両目も強く緊張しているように感じた。そして、首筋と乳房の上の胸を見た。首と胸は、赤い斑点が散りばめられたピンク色に光っていた。湿った、軽い熱傷のような・・・。
 僕は、熱い風呂が嫌いだからよくわかる。熱い風呂に長時間入ると、皮膚が湿ったピンク色に染まって湯気が全身から立ち昇る。
 「熱過ぎるのだ!」、きっと、46度くらいではないか。風呂の適温は42度だ。老女の両目の強さと、上肢がマン・ウエルニッケ肢位を取り、手指は全屈曲(マス・フレクション)で母指を手掌の中で握り絞めている(サム・イン・パーム)、入浴しても異常な筋緊張が取れない理由は、風呂の温度が熱過ぎるからだ。
 なぜ、そんな火傷するほどの温度にするのか。熱い湯の方がアカが落ちるからだろうか?そんな先入観があるのかも知れない。そうではないだろう。実は、熱くしておかないと、次に入る患者が「ぬるく」なってしまうからではないか? その日の入浴の順番が、老女に恐怖を与えているのではないか。
 僕がこの光景を見たのは、昼過ぎ、午後1時30分頃、介護士たちが午後の仕事を始めた時間帯だった。老女は、午後一番の入浴患者だ。
 もし、僕の推理が当たっていれば、介護士は「お湯は熱くないですか?」とは尋ねていないだろう。当然、熱いことは知っているのだから。
 「セーキは自分で洗いますか?」という言葉を、これまで老女は一度も聞いたことがないのかも知れない。
 湿ったピンク色の皮膚から立ち昇っていたのは、身体の痛みの湯気ではないかと思った。それは人生の悲しみの湯気のような気がした。何か、心に突き上げてくるものを感じた。

 ただ、これは僕の幻想かも知れないとも思う。世の中には熱い風呂が好きな人も多い。僕は老女と会話していない。彼女の身体の声は聴いてはいない。ただ、辺見庸氏の本を読んで、この老女のことを反芻したに過ぎないのだから・・・。

 それにしても、老人の介護を巡る問題は多い。

 辺見庸氏は苛酷な病魔と闘っているが、「性器」を「セーキ」と書く、稀有な、素晴らしい作家である。心より回復を祈りたい。

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