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メッセージNo.70 手足が、今「”ここ”にある」ということ −深部感覚障害の検査をめぐって

右足のとなりにある物体が自分の左足とは思えなかった.
Sacks ,1984.

  1. 身体空間への知覚と注意

     空間には「身体空間(身体図式)、身体周辺空間(近位空間)、身体外空間(遠位空間)」がある。また、私は「私の身体」として実存している。そして、いつも私の身体は空間の中心点にいる。
     つまり、私の身体は「そこ」でも、「あそこ」でもなく、いつも「ここ」にいる。しかし、「ここ」とは「どこ」なのか?
     リハビリテーションの臨床には、自分の身体のある部分が「ここにある」ということがわからない患者たちが大勢いる。もちろん、目で見れば自分の身体が「どこにある」のかはわかる。たとえば、片麻痺患者が椅子に座っている時に、目で見れば麻痺側の足が「どこにある」のはわかる。しかし、目を閉じると、足が「ここにある」という感じはしない。それにもかかわらず、現在の多くのセラピストは、椅子から立ち上がるという行為を患者に要求する。患者は上手く立ち上がることはできない。なぜなら、足の位置がわからない、膝に対してどの位置に足があるかわからない、足と接触している床の状態がわからない、体重をどこに荷重すればよいかがわからない、立つためにどのように筋を収縮すべきかがわからないので、結果的に患者は立つことはできないし、歩くこともできない場合が多い。片麻痺患者は椅子から上手く起立することが出来ない。立位が保持できない。歩行を再獲得させることが出来ない。その背後に「深部感覚(位置覚・運動覚)」の障害が潜んでいる。セラピストはまず、動作の前に、身体空間への知覚と注意を促し、「ここ」とは「どこ」なのかを教えなければならないだろう。

  2. 深部感覚とは何か?

     人間は自分自身を感じる。自己の身体の動きを感じ取ることができる。この身体の存在、姿勢、手足の位置や方向、全身の動きなどを感じ取る機能を「深部感覚(deep sensation)」という。
     深部感覚は関節包、靭帯、筋に起源をもつ感覚であり、皮膚に起源をもつ「表在感覚」とは区別される。両者を区別したのはHead(1905)である。深部感覚は「運動感覚(kinesthesia)」、表在感覚は「皮膚感覚skin sensation」と呼ばれる。
     深部感覚には「位置覚」、「運動覚」、「筋感覚」がある。「位置覚(sense of joint position)」は静止状態での四肢の空間的位置の認識のことである。「運動覚(sense of movement)」は関節運動に伴う四肢の方向や距離(関節角度)といった、体幹や四肢の空間における相対的な位置関係の認識である。「筋感覚(muscle sense)」は筋収縮に伴う筋の張力(sense of muscle contraction)、力の入れ具合としての努力感覚(sense of force)、関節の動きに対する物理的な抵抗感(sense of resistance)、重量感(sense of weight)などの複合感覚であり、シェリントンによって自己固有受容感覚(proprioception)と名づけられている1)。

  3. 深部感覚の脱失

     深部感覚の喪失による運動障害の歴史は19世紀まで遡ることができる。1811年に顔面神経麻痺で有名なベル(Bell)は、皮膚に存在する感覚神経が表在感覚の機能を有することを最初に指摘した。また、1938年にミューラーは感覚神経が特定の物理的刺激に対して特異的に反応し、特定の感覚をひき起こすと考えた(low of specific energies)。そして、1836年に脊髄の反射研究で有名なマーシャル・ホール(Marshall Hall)は脊髄癆患者(神経梅毒による脊髄後索の病理)を初めて報告した。その患者は暗がりにおいて姿勢の不安定性が増加すると苦情を訴えた。しかしながら、彼はこの特異的な症状または徴候を発展させなかった。
     そして、1840年にモーリッツ・ロンベルグ(Romberg)は、現在世界的に認識されている脊髄癆(脊髄後索に損害を与えている梅毒に起因する疾患)のロンベルグ徴候について報告した。彼は、脊髄癆患者の診断に“ロンベルグ試験”が有効であることを提案した。これは立位で両上肢を前方に出し、開眼時と閉眼時の姿勢動揺の差異を観察するという検査である。当時流行していた神経梅毒に起因する脊髄癆患者では、脊髄後索の障害によって閉眼時の動揺が顕著であった。ロンベルグは患者の症状を次のように記載している。

    • 足の感覚は、立っているか、歩くか、横になる際に無くなる。そして、患者はあたかも柔らかい毛で包まれているかのような感覚がする。地面からの抵抗は感じられない。
    • 歩行は不安定に始まる。患者は、より大きな力で彼の足を床に置く。個々に保つ彼の眼は彼の行動がより不安定になるのを防止するように彼は感じる。
    • もし患者が垂直姿勢において眼を閉じるように命令された場合、彼はすぐによろめいて左右にスイングする。
    • 患者の歩行の不安定性は暗がりでより動揺するが、他の運動麻痺ではこうした症状は観察されない。
    • 眼を閉じることによる不安定性(感覚性運動失調)は、下肢と足の位置覚の喪失に関係しており、通常その情報を提供するために視力を使用することで代償される。
    • 閉眼もしくは暗がりにある時、四肢の位置覚の喪失は不安定性の原因となり、患者は時々転倒する。

     また、1858年にドゥシャンヌ(Duchenne)は“進行性移動失調”の症例を報告した。彼の観察によれば、脊髄癆を有する患者には視力を失う傾向があり、進行的に悪化する運動失調症状を伴う。脊髄癆における運動失調の最初の詳細な記載は、このドゥシェンヌの報告である。
     以後、歩行の不安定を呈している患者において、脊髄性失調症と小脳性失調症の鑑別のためにロンベルグ試験は臨床で使われるようになった。その後、1890年にフレンケル(Frenkel)が”フレンケル体操”と呼ばれる運動療法を提案した。1921年には、ギラン・バレー(Guillain)は、急激に発現する急性脊髄癆性失調が、早めの適切な治療によって完全に回復する可逆的なタイプがあると報告した。同じ頃、フールニエは、歩行の不安定性を呈している失調症に対する”フールニエ・エクササイズ(突然の、そして思いがけない運動の認識を基礎にした訓練)”を報告した。
     20世紀の臨床神経学において、脊柱後索の異常を診断するためにロンベルグ試験は使われるようになった。今日でもその重要性は高く評価されている2)

  4. 深部感覚の変容や喪失

     深部感覚障害は脊髄後索の病変(脊髄癆)のみでなく、脳卒中片麻痺、脳性麻痺、脊髄損傷、脊髄後索病変、末梢神経損傷、運動器損傷(関節包、靭帯、筋の損傷)などさまざまな疾患においても出現する。これらの疾患においても関節包、靭帯、筋の感覚受容器から脊髄後索や視床を経て脳の感覚野に向かう上行性の神経線維の情報伝達障害を来たし、上肢、下肢、個々の関節レベルなどさまざまなタイプの深部感覚障害が発生する。患者は自己の身体の「運動感覚の変容や喪失」によって運動機能の調整が上手くできなくなる。日常生活動作や行為の著しい能力低下を来たす。

  5. サックスの「左足をとりもどすまで」より

     さらに、深部感覚の変容や喪失は運動器疾患(整形外科疾患)においても発生することがある。医師で作家でもあるオリバー・サックス(Sacks)は「左足を取りもどすまで」という本(第5章:ふたたび一歩をふみだすまで)に、そうした状況の困難さを自分自身の経験として綴っている。それは車椅子でリハビリテーション訓練室に来て、はじめて車椅子から立ち上って歩行訓練をする時の経験である3)。
     私は立ち上がった、というより立たされた。体格のよい二人の理学療法士にかかえあげられ、立たされたのである。もちろん自分でも、与えられた二本の頑丈な松葉杖をたよりに、懸命に立とうとはした。松葉杖をつかって立つのは奇妙な感じで恐ろしかった。まっすぐ前を見ていると、左足がどこにあるのかさっぱりわからない、だいいち、左足がたしかにあるという気がしなかった。下を見ずにはいられない。視覚が重要だったからだ。見おろすと、一瞬、右足のとなりにある「物体」が自分の左足とは思えなかった。どうしても自分のからだの一部とは思えない。体重をかけたり、使ったりすることなど思いもよらなかった。私は、両足でというより、松葉杖と理学療法士に支えられてじっと立って、いや立たされていたのである。奇妙でかなり恐ろしい静止状態。重大なことがまさにおきようとする息詰まるような静止状態だった。
     身動きがとれず立ちすくんでいると、元気に声が聞こえてきた。
    「さあ、サックス先生。そんなふうに立ったままではだめです。片足で立っているコウノトリみたいですよ。もう片方もつかわなくてはいけません。左足にも体重をかけて」「もう片方? そんなものがあっただろうか」私はそう聞きたいくらいだった。いったいどうやって歩けというのだ。腰からだらりとぶらさがっている幽霊のようなぶよぶよのかたまり、「無」を支えにして、いったいどうやって立てというのだ。動くどころの話ではない。
    チョークでてきた殻のようなギプスで守られている、奇妙な付属物。たとえそれがからだを支えることができるとしても、歩き方を忘れてしまっているのにどうやって歩いたらいいのだろう?
    「さあ、先生!」理学療法士たちはせきたてる。「はじめなくてはだめです」はじめるだって!どうやって?できるものか。だが、やらなければならない。
     左足にじかに体重をかけることはできなかった。――何と恐ろしい。考えることすらできない。できることといえば、右足を上げることだ。そうすれば、左足とよばれている物体は、いやおうなく体重を支えなくてはならないだろう。でなければ、倒れてしまうかどちらかだ。私は右足を上げた。
     突然、なんの前ぶれもなく、私は奇妙なめまいに襲われた。床がはるか遠くにあるかと思うと十センチほどまで迫ってくる。部屋が急に傾き、中心線を軸に回転する。なんということだ。わけがわからず恐ろしかった。倒れそうな気がして、私は理学療法士にむかって叫んだ。
    「支えてください。支えて! 倒れそうだ」
    「さあ落ち着いて。下を見ないで正面を見て」理学療法士たちは言った。

  6. 臨床における深部感覚の詳細な検査

     ロンベルグ試験は小脳性失調症と脊髄性失調症の鑑別診断に利用される。しかしながら、片麻痺などの深部感覚障害の検査(四肢の位置覚や運動覚の検査)としては「模倣検査」が一般的である。これは次のような手順で行う。

    1. 背臥位または座位で患者を閉眼させる
    2. セラピストが患側の手足をある方向に他動的にゆっくりと動かして止める
    3. 患者は健側の手足を同じ空間的な位置に持ってくる(模倣)
    4. その左右の手足の位置の異常(差異)から深部感覚障害の程度を判定する

     リハビリテーションの臨床では、こうした手順で深部感覚障害の有無を肩、肘、前腕、手首、手指、股、膝、足、足指について検査する。だが、それは深部感覚の「量的」な検査に過ぎないように思える。この程度の検査では「脱失」、「鈍磨」、「正常」しかわからない。つまり、これではまだ「粗大」であり、もっと「詳細」に検査する必要がある。
     認知神経リハビリテーションでは「空間問題(手足の運動の方向、距離、形態)」を提示して訓練をするが、その際には体性感覚(表在感覚・深部感覚)の評価を詳細に行っておく必要がある。そうでなければ適切な難易度に対応した空間問題(自己中心座標系)を設定できないし、深部感覚の再教育による細分化や回復を図ることはできない。
     また、近年、ペルフェッティ(Perfetti)が提案しているように、深部感覚は空間認知(cognition of space)にきわめて重要である4)。したがって、深部感覚の検査は次のような手順に沿って行うべきである。

    [深部感覚の詳細な検査]

    1. 関節運動の有無、始まりと終わりが認識できるか?
       →動き始めた瞬間と止まった瞬間がわかるか?
    2. 単関節運動のマッチング(模倣・比較照合)ができるか?
       →角度の差異を量的に観察(左右比較)
    3. 多関節運動のマッチング(模倣・比較照合)ができるか?
       →どの関節において差異が大きいか(左右比較)
    4. どの方向に関節が動いたか識別(方向・距離)できるか?
       →自己中心座標系(正中線、肩、肘などに対する手の動きなど)
       →環境中心座標系(部屋の窓の方向への手の動きなど)
    5. 複数の関節の空間的な関係性が理解できるか?
       →上下、前後、左右の関係が認識できるか?
       →姿勢の空間アライメントの認識ができるか?
    6. 関節運動の順序(シィークエンス)と速度が認識できるか?
       →どの順番で関節が動いたか?
       →どの程度のスピードで動いたか?
    7. 関節運動と触覚の「機能面(接触面)」変化
       →関節運動による物体への皮膚の接触面の変化が予測できるか?
    8. 関節運動に伴う筋緊張の出現を認識できるか?
       →伸張反射の出現
       →放散反応の出現
    9. 日常生活における行為との関係性(差異と類似)
       →どの行為の記憶の運動覚と類似しているか?
       →どの現実の行為の運動覚と類似しているか?
    10. 深部感覚の異常をどのように一人称言語記述するか?
       →三人称言語記述
       →一人称言語記述

     このように臨床で詳細に観察(検査)することにより、患者の深部感覚(位置覚・運動覚)がどのように喪失・変容しているかが理解できる。もし、セラピストが詳細に検査しなければ、「深部感覚障害(脱失・鈍磨)があるので行為が上手くできない」で終わってしまう。セラピストは、そこで終わらせてはならない。「どのように深部感覚が障害されているのか」を明らかにすることで治療の可能性が生まれる。

  7. 深部感覚は「行為の質(quality of action)」に貢献している

     先日、肩関節の運動覚が脱失している片麻痺患者に遭遇した。通常の検査では脱失で終わりである。どの方向に肩関節を他動的に動かしてもまったく認識できない。しかし、患者はピアノを弾いていた。そこで自分が発表会でピアノを弾く時の姿勢と上肢の位置をイメージさせた。その状態で肩関節を他動的に動かすと、その上肢の位置はイメージとは違うと答えた。これは患者の脳の中には深部感覚としての「身体図式」が残っていることを示唆している。
     あるいは、脊髄のブラウン・セカード症候群で、一側の下肢の深部感覚が脱失しているにも関わらず、歩行時に下肢(足部)の位置を目で確認しなくても歩ける患者にも遭遇した。深部感覚には筋感覚もあり、筋感覚で運動や体重を認識している可能性もある。
     深部感覚は四肢の位置や運動の認識だけでなく、重さの認識にも関与している。マクロスキーは「重さの感覚」を五感につづく「第六感」と呼んでいる。深部感覚が「行為の質(QOA)」に貢献していることは間違いない。

  8. 深部感覚は「未知の感覚」である

     1840年に、ロンベルグは深部感覚障害の検査と診断学的な推論を導入した。彼は革新的な神経科医であった。それから既に175年の歳月が流れている。しかし、現在のリハビリテーションの臨床は、まだ深部感覚障害を詳細に検査していない。近年のペルフェッティの提案は臨床場面にまったく浸透していない。それでは運動麻痺は回復しないだろう。そして、日常生活動作も改善しないだろう。患者の身体を理解することはできないだろう。
     深部感覚はまだまだ「未知な感覚」である。セラピストは、運動制御における深部感覚の重要性を頭だけで理解してもだめだ。実際に詳細な観察や検査を通して、その不思議さを実感すべきである。その先に認知神経リハビリテーションの訓練がある。セラピストは、深部感覚障害を有する患者に手足が今「”ここ”にある」ことを教えるべきである。

文献

  1. 1) 宮本省三:片麻痺;バビンスキーからペルフェッティまで.協同医書,2014.
    2) Pearce J:Romberg's Sign.J Neurology neurosurgery & Psychiatry 1993.
    3) Sacks O(金沢泰子訳):左足を取り戻すまで.唱文社,1984.
    4) Perfetti C(小池美納訳):認知運動療法:運動機能再教育の新しいパラダイム.協同医書,1998.
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