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2021年9月18日、イタリアのマッサで「カルロ=ペルフェッティ追悼集会」が開催された。故郷の小さな文化団体が主催した。ペルフェッティ先生は市民にリハビリテーションについて講義したり、「手・・・手は死んでしまったのか?」という写真展を企画したりしていた。
ペルフェッティ夫人のマリーナさん、愛娘のトリスターナさん、ピエローニ先生、パンテ先生、リツェッロ先生、ゼルニッヒ先生、それからプッチーニ先生、ブレギー先生、哲学者のイヤコノ教授、写真家のキャピン氏、数多くの友人、医師、セラピスト、関係者が集った。そのプログラムを記しておく。親友のヴァレーリオが参加して「感動した」と写真をメールで送ってくれた。
なお、当日は「親愛なるミヤモト、親愛なる日本の友人たちへ」で始まるペルフェッティ先生の手紙が俳優によって朗読された。これはサントルソ認知神経リハビリテーションセンターを引退して故郷に帰った頃に届いた手紙である。僕は、この手紙に返事を書いていなかった。だから、先日「この手紙への返事は?」とパンテ先生から促され、「親愛なるペルフェッティ夫人へ」という手紙を書いて送った。手紙は小池美納さんがイタリア語に翻訳してくれた。この返事も俳優が一緒に読んでくれたようだ。
コロナ禍でマッサには行けなかった。いつの日かトスカーナを旅して墓参りをしたいと思う。愛娘のトリスターナさんは「夢を捨てないで(Non abbandonare il sogno)」と言っている。
親愛なるミヤモトへ 親愛なる日本の友人たちへ
今回も皆さんのところに行けなくて申し訳ない。年齢も考えると、もう日本に行くのは無理だと思っている。
来日するフランカ・パンテに託して、あなたの仲間や生徒たちに今一度感謝の念を述べさせてもらいたい。私たちが進めている回復プロセスの研究を広めてくれていることへの感謝はもちろんだが、あなたたちの存在が私たちのグループに意味するものに対する感謝だ。
あなたたちの存在と関心は、私たちが研究を続け、新たな方向を見つけ、自分たちの計画を慎重に実践する刺激となってくれている。あなたたちに適切な形でそれを説明しようという気持ちが働くからだ。
あなたやあなたたちとの関係は、私たちのリハビリテーションの方向、研究の方向が良識に適ったものであることを確認するという意味でも重要だった。あなたや、若い日本のセラピストたちや研究者たちと定期的に会うことは、自分たちにとって大きな喜びだし、私たちがこの40年間培ってきたものに常に敵意を見せてきたイタリアのリハビリテーション界への腹いせにもなった。イタリアのリハビリテーション界はボツリヌス菌治療を大喜びで歓迎するような世界だから、認知神経リハビリテーションやその原理に関心などは向けてくれないのだ。
親愛なるミヤモト
ご存知のように、イタリアではいろんなことがあまり良い方向に進んでいるとは言えない。政治的にも、社会的に、文化一般についても言える。そんな中でリハビリテーションは、他の医学分野にも増してその影響を受けてしまっている。医療の鎖の中で最も弱い輪であることから、最も悪影響を受けてしまうのだ。すべてのリハビリテーションがそうなのだから、認知神経リハビリテーションについてはいうまでもないだろう。
回復プロセスの研究と、それを治療方略に応用して行くということは、世界との関係性を構築するのが難しくなっている人に手を差し伸べるための研究者の務めだ。しかし、今の時代、資本主義の国ならどこでもそうだが、特にイタリアでは、人間間の関係は、ますます憎しみや、攻撃、搾取、裏切りという方向に進んでいるように思える。私たちの努力が実を結べるのかと疑問視してしまうときもある。
しかし、私はともかく勉強を続けていこうと思う。新しいテーマとして私が選んだのは「治療的代用(sostituti terapeutici)」(来年会った時に一緒に議論できたら良いと思っている)だ。簡単にいうと、運動イメージは「代用物(sostituto)」の一つだ。現実の行為に代わるものだからだ。もちろん全く同じものではないのだが、適切な形で活性化することができれば、回復にとっての意味を持つことができるし、治療的な価値を持つことができるからだ。同じことが、患者やセラピストが使うメタファーにも言える。
まだ仮説の状態ではあるが、訓練を通じて得られる経験も、一つの「代用物」として解釈し研究できるのではないかと思う。しかしこの場合、それが治療のために効果を発揮するためには、セラピストの介助を得て、現実の行為との比較が行われる必要がある(ベイトソンのいう類似と差異という意味で)。今まで我々もあまり取り上げてこなかった、認知神経リハビリテーションの最後のフェーズと言えるかもしれない。
この仮説は、フランカ・パンテとの最近の議論から生まれた仮説なので、彼女から少し話をしてもらっても良い。
来年の(マスターコースの)テーマにしても良いかもしれない。もし私たちがそれまでに考察をきちんと深められればの話だが。さっきも言ったが、あなたたちの存在や関心は、仮説として浮かんできたテーマを深め、訓練を通じて検証して行く刺激になっているのだ。
愛情と尊敬の念を持って、この手紙を終わらせよう。
これを書いている中、窓からはカプリオの畑や、オリーブの植えられた丘、草を食んでいる牛たち、薔薇や百合やケシの花の色で鮮やかな庭が見えている。夜にはイノシシが庭の端までやってくるし、朝早くには若い鹿たちが畑の野菜を食べにくる。世界は美しく、人々の間で楽しく暮らすことは可能なのだが、残念ながら非人間的で暴力的な社会構造が存在し、一群の犯罪者たちが、私たちの弱さや怠慢に漬け込んで自分たちの利益を得ている。
人間の世界が音や色や生命の世界と豊かな関係を築けるようなものになれば、リハビリテーションも、人々に愛を差し出すという、本来の意味を得ることができるのかもしれない。
お元気で。 Carlo Perfetti
親愛なるペルフェッティ夫人
「Caro Myamoto, cari amici giapponesi(親愛なるミヤモト、親愛なる日本の友人たちへ)」で始まる、ペルフェッティ教授からの手紙を読み返しました。
この手紙は、僕がペルフェッティ教授に日本での講演を依頼した時の返事です。僕は、夫人(あなた)と一緒に来日し、学会で講演し、日本の文化に触れてほしいと伝えていました。しかし、残念ながら実現しませんでした。依頼を断る短い手紙では、僕が悲しむので、少し長い手紙を書いてくれたのです。ペルフェッティ教授の僕への”やさしさ”を感じます。
手紙の内容の中に、「治療的代用(sostituti terapeutici)」、運動イメージは「代用物(sostituto)」という言葉が出て来ます。代用物とは、患者の脳の中に残っている「行為の記憶」のことです。あるいは「人生の記憶」のことです。
今読み返すと、これが「行為間比較」の研究の始まりだったことがわかります。ペルフェッティ教授は「行為の記憶(過去)」と「訓練としての行為(現在)」の比較が、「行為の回復(未来)」を導くという仮説をつくりました。
この「行為間比較(ETC)」の仮説の正しさは、リハビリテーションの臨床だけでなく、悲惨な「コロナ禍の社会」における人間の心的活動でも正当化できます。
今、世界中の人々が、以前の自由で幸福な社会に戻りたいと願っています。誰もが「コロナ禍前の社会(過去)」と「コロナ禍の社会(現在)」を比較しています。また、その比較によって「コロナ禍後の社会(未来)」がイメージできるのです。その「予測」が社会の回復につながります。
この意味で、行為の回復と社会の回復の心的活動は共通しています。そして、どちらも損傷からの学習プロセスです。
だから、行為間比較は人間が自律して未来へ歩むための普遍的な心的活動だと言えます。ペルフェッティ教授は、ルイス・キャロル(Lewis Carroll)の「鏡の国のアリス」を引用して、「記憶は過去へと向かう一方向性の矢ではなく、未来へも向かう両方向性の矢だ」と教えてくれました。過去の記憶は未来をイメージするためにも使われるのです。
しかし、この解釈だけでは不十分です。僕はもっと「人間のリハビリテーション」の核心を認識しておく必要があるようです。それをこの手紙は僕に教えてくれます。
ペルフェッティ教授は、まるで遺言でもあるかのように、「la riabilitazione potrebbe assumere il suo vero significato di offerta di amore tra gli esseri umani.(リハビリテーションも、人々に愛を差し出すという、本来の意味を得ることができるのかもしれない)」と書いています。これは決して簡単なことではありません。美しい自然の世界、カブリオの畑、オリーブの丘、薔薇や百合、牛や鹿たちの世界は合理的ですが、人間の世界は不条理だからです。
その意味でペルフェッティ教授は、「人間のリハビリテーション」を求めて、人間の世界の不条理に挑む、唯一無二の”マエストロ”でした。
ペルフェッティ教授は、僕の心の中で生きつづけています。今、僕は「新しい本(サントルソでの日本人セラピストへの講義)」をつくっています。日本認知神経リハビリテーション学会の約1800名の会員が先生を追悼しています。今、我々は認知神経リハビリテーションの旅をつづけています。
親愛なるあなたとトリスターナさんが、親愛なるイタリアの友人たちが、幸福であることを心よりお祈りいたします。
ペルフェッティ教授の笑顔を思い出しながら・・・
悲しみを感謝で包み込みながら・・・
日本認知神経リハビリテーション学会 会長 宮本省三
2021.9.9
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