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メッセージNo.115 I remember ・・・
―ボブ・マーリーの“No woman,no cry(ノー・ウーマン・ノー・クライ)”

 プレコングレス勉強会で「知覚と記憶の共鳴」について話した。行為間比較について、個人的な経験の記憶である自伝的記憶(Autobiographical memory)、エピソード記憶(episodic memory)、イベント(出来事)記憶(event memory)、予測のための記憶(memory of prediction)、メタ記憶(mata memory)などの視点から考えてみた。「記憶の中の私(The me in the memory)」の行為と訓練を比較(類似と差異)し、関連づけることの重要性を説明した。

 翌日、ユーチューブでボブ・マーリー(Bob Marley)の名曲『No Woman,No Cry』をライブ映像で聴いていると、Iremember・・・と歌っている。歌詞を調べてみた。


「No Woman, No Cry」

No woman, no cry(愛しい人よ、泣かないで)
No Woman No Cry×4

Said - said - said I remember when we used to sit
(俺は覚えている、あの頃、俺たちはトレンチタウンの)
In the government yard in Trenchtown
(公営団地の庭に座っていたよな)
Oba - obaserving the 'ypocrites
(偽善者たちが俺たちの仲間に)
mingle with the good people we meet.
(紛れこもうとするのを見張ってた)
Good friends we have, oh, good friends we've lost
(隣にいた友人たちはいつの間にか)
Along the way.
(歩くうちにいなくなっていた)
In this great future, you can't forget your past;
(どれほど良い未来を手に入れたって、過去を忘れることなんか出来ないだろう?)
So dry your tears, I seh.
(だからどうか、涙を拭いて)
No, woman, no cry
(愛しい人よ、泣かないで)
No, woman, no cry
'Ere, little darlin', don't shed no tears
(最愛の君よ、もう泣かないでよ)
No, woman, no cry
(愛しい人よ、泣かないで)

Said - said - said: I remember when-a we used to sit
(俺は覚えている、あの頃、俺たちはトレンチタウンの)
In the government yard in Trenchtown
(公営団地の庭に座っていたよな)
And then Georgie would make the fire lights,
(ジョージが火をつけてくれた)
As it was logwood burnin' through the nights
(丸太が夜通し燃えていた)
Then we would cook cornmeal porridge
(それでコーンミールの粥を作って)
Of which I'll share with you
(お前たちと分け合って食べた)
My feet is my only carriage
(俺の足だけが唯一の移動手段で)
So I've got to push on through
(だから自分で歩いて行かなきゃならなかった)
But while I'm gone,
(でもさ、もし俺がいなくなったって)
Everything's gonna be all right×8
(すべてのことは上手くいく、何も変わらず、ちゃんと上手くいく)
So, woman, no cry
(だからさ、どうか泣かないでくれ 愛しい人)
No - no, woman - woman, no cry
(愛しい人よ、泣かないで)
Woman, little sister, don't shed no tears
(俺の可愛い君、もう泣かないで)
No, woman, no cry.
(愛しい人よ、泣かないで)


Bob Marley
Bob Marley

 若い頃、ボブ・マーリーはジャマイカのトレンチタウンの公営団地の庭で暮らしていた。丸太が夜通し燃えていて、コーンミールの粥を作って、お前たちと分け合って食べた。どれほど良い未来を手に入れたって、その過去を忘れることなんか出来ない。つまり、その頃の生活の出来事を決して忘れないと歌っている。
 だが、よくわからないのは、俺の足だけが唯一の移動手段で、だから自分で歩いて行かなきゃならなかった、という所だ。そして、でもさ、もし俺がいなくなったって、すべてのことは上手くいく、何も変わらず、ちゃんと上手くいく、と誰かに言っている。
 これは、ボブ・マーリーが、誰かを残して、自分の意志で(足や歩行は外部の世界へ出てゆくという意志のメタファー)、トレンチタウンの公営団地の庭から出て行ったことを表している。そして、彼の音楽(レゲエ)は世界に広まった。

 調べてみた。ボブ・マーリー「No Woman,No Cry」:永遠のアムセンの誕生と作曲者ヴィンセント・フォードとは? と題したネット記事には、次のように記されていた。以下に、部分を引用する。


作曲者ヴィンセント・フォードとは?
 この名曲の作曲者が誰なのかについては、これまで何度も議論されてきた。ボブ・マーリーの元出版社でさえも版権をめぐって訴訟を起こしたが負けてしまっている。この曲には、ボブ・マーリーの生まれ故郷トレンチタウンでは有名人だったヴィンセント・フォードの名前が作曲家としてクレジットされている。
 ヴィンセント・フォードは、糖尿病の治療をスラム街で受けられなかったために幼い頃に脚を失い、トレンチタウン中を車椅子で移動していた。そんなハンデもものともせずに、彼は公営住宅のあるガバメント・ヤードでスープキッチン(*炊き出し所)を営んでいた。ガバメント・ヤードとはある特定の場所を指すのではなく、政府が40年代に貧しい人たちを収容する西キングストンに建てたビル郡の間の広場のことを指す。他の地域にある掘っ立て小屋に比べれば立派な建物で、トイレがあり、水道と電気も通っていた。しかし、その地域の住民たちは仕事に恵まれることはなく、ひどく貧しい生活を送っていた。
 そんなヴィンセント・フォードが提供していた賄いから恩恵を受けた人々の中にボブ・マーリーがいたのだ。彼の取り組みがなければ、ボブ・マーリーは飢えていただろうと彼自身が語っている。ヴィンセント・フォードはボブ・マーリーのいつかの作品に作曲者としてクレジットされており、その中には「No Woman, No Cry」も含まれている。ボブ・マーリーがなぜ最も有名な自身の作品一つのクレジットを彼に与えたのか、それについては諸説あり、ここでは詳しく議論はしないが、もし本当にボブ・マーリーが曲を書いていないヴィンセント・フォードに手柄を与えたのであれば、思いやりに溢れる年配のヴィンセント・フォードは、受け取った印税に助けられたことは間違いないだろう。命を救ってもらった優しさへのボブ・マーリーの素晴らしい恩返しだったと言える。


 ボブ・マーリーがIremember・・・と歌っている。トレンチタウンの公営団地の庭でのエピソード(出来事)記憶を歌っている。年配の車椅子の歩くことができない人物(炊き出しの恩人)との自伝的記憶について歌っている。つまり、個人的な記憶に魂を込めて歌っているということだ。

 俺の足だけが唯一の移動手段で、だから自分で歩いて行かなきゃならなかった、という所が気になった。そこから「自伝的記憶」には「エピソード記憶」や「出来事記憶」だけでなく、「意味記憶」も重要であることがわかった。

 若い頃、高校生の頃、友人の家でよく徹夜マージャンをやっていた。その時、ロックにまじってレゲエが流れていた。ボブ・マーリーのレコードが回っていた。その時の経験を自伝的記憶として想起する。だが、僕は彼の魂を受け止めて生きたとは言えない。僕の足は生まれた街の外に歩いて行かなかった。世話になった学校からも出ていない。唯一、サントルソに行ったぐらいだ。それでも人生は自分で歩いて行かなきゃならない。どれほど良い未来を手に入れたって、過去を忘れることなんか出来ない。そうすれば、きっと、Everything's gonna be all right(すべてのことは上手くいく、何も変わらず、ちゃんと上手くいく)はずだ。

 何が言いたいのか?

 Iremember・・・は、個人の人生、物語、身体だということだ。
 行為間比較は、個人の脳のリハビリテーションである。

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