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タバコを吸って自分を慰めてるわ
ある日曜日の夕方、スーパーの駐車場の隅の喫煙所でタバコを吸っていた。車椅子の片麻痺患者がやってきて、彼も吸い始めた。50歳位の男性で、上肢はヴェルニッケ・マン肢位である。少し経って、「兄さんはいつ頃から吸ってる?」と尋ねてきた。「中学生の頃から」と笑って答えた。彼は「自分は高校からだから、もう三十年以上になるわ」と言った。また、「こんな体になっても止められないわ」とも言った。僕は「そうやね」と返した。そして、その後に彼はこんな風に言った。
「けれど、こんな体になったのは酒のせいでタバコのせいやない。酒のせいで脳卒中になってしまったわ。まあ、ようけ飲んだから自業自得よ。だから、タバコを吸って自分を慰めてるわ」
僕は「脳卒中の原因は酒で、癌の原因がタバコだということか」と思いながら、「歩けますか」と話題を変えた。彼は「杖をついたら何とか歩けるけど、外出は車椅子」と答えた。僕は彼を見つめて「お大事に」と言って別れた。
気になったのは、「タバコを吸って自分を慰めているわ」という言葉である。なぜなら、僕はタバコを吸って自分を慰めたりはしないからだ。
数日後、ネットで文献を調べてみた。ネフの「セルフ・コンパッション」という論文と出会った。
自己への思いやり
セルフ・コンパッションとは、「自己への思いやり(自己が自己を思いやること)」である。ネフによれば、「個人的な過ちや不十分さ、あるいは人生の外的な課題などによって引き起こされる苦しみや痛みを経験している際に、自分自身を支えること」を指す。また、自己への思いやりは「精神的および肉体的な健康をもたらす苦痛的な思考や感情への効果的なアプローチ方法である」という。
これは自己が自分自身とどのように関わるかという点で、あるいは「自己との対話」や「メタ認知」という点で、私やあなたにいつも生じている心理であり、誰もがそうやって自分を励ましている。同時に、リハビリテーションを受けている患者たちの心理にも深く関わっている。人は自分を励ましながら、思いやりながら生きているし、患者さんたちも苦悩する自分を励ましながら、自己を思いやりながら生きている。さらに、それは家族、友人、他者への思いやりとも深くかかわっている。つまり、セルフ・コンパッションは自己だけでなく、他者へも拡張される。
セルフ・コンパッションは「自己を思いやること」から「他者を思いやること」へと繋がっている。それは同情(sympathy)や共感(empathy)よりも深く、自己や他者の苦悩や悲しみを理解し、寄り添い、助けようとする積極的な気持ちや行為を含む。Goetzは、他者への思いやりを「他者の苦しみを目撃したときに生じ、その後に助けたいという欲求を促す感情」と定義している。この感情は他者への温かい思いやりである。傷つけたくない、自分を気づけない方がいい、助けたい、支えたい、協力したい、援助したいといった気持ちである(共感)。誰でも家族や友人や知人にはこの種の共感をより強く感じる。そして、この感情は他者を哀れむ(憐れむ)気持ちとは微妙に違う(同情)。同情の奥底には哀れみのような自己憐憫(れんびん)や他者憐憫の感情が潜んでいるからだ。したがって、「共感」と「同情」は微妙に違う。
ネフによれば、「自分自身の苦悩や痛みは、失敗から生じたものでも、個人的な不十分さから生じたものでも、あるいはより一般的な人生における課題から生じたものでも、同じようなものである」という。そして、その時に自己による自己への「共感」が必要になる。それは「自己共感」と呼ばれる。自己共感は「自分自身の苦悩や痛みに寄り添い、同じように苦しんでいる他者との繋がりを感じ、困難な瞬間を通して自分自身を理解し支え合うこと」を含んでいる。しかし、「自己防衛、重要なニーズへの対応、あるいは変化を促すことを目的とする場合には、激しく力強く、主体的な形を取ることもある」という。
しかしながら、セルフ・コンパッションは多面的な概念である。そのため内容を分類することが難しい。ネフは大きく3つの領域に分類している。
このようにセルフ・コンパッションは3つの要素に分離可能である。ただし、相互に影響を与え合う可能性はある。ここではセルフ・コンパッションの3つの要素について、ネフの論文を引用して紹介する。
① 人が苦しみに対して感情的にどのように反応するか
(優しさか、それとも自己批判的か)
友人や愛する人が、自分自身に辛い思いをしたり、人生で困難に直面したりしているとき、私たちの多くは親切に接し、支えようとする。思いやりを示すために、温かく理解のある言葉をかけたり、肩に手を置くなど、愛情表現をしたりする。しかし、私たちは自分自身に対しては、友人には決して言わないような、冷たく批判的な言葉を口にしてしまうことがよくある。しかし、セルフ・コンパッションがあれば、冷たく自分を責めるのではなく、慈悲深く支え合う態度を取ることができる。自分の欠点を認めながらも、それでも自分をケアする。このような自己受容は「無価値感」を軽減する。
しかし、自分に優しくすることは、自己批判をやめることだけではない。自分の苦悩に積極的に気を配ることも意味する。私たちは、自分が不十分だからではなく、気にかけているからこそ、できる限り不快感を和らげようとする。自分に優しくすることは、人生が困難になった時に、感情的に寄り添うことでもある。それは、自分の痛みに心を動かされ、「今は本当に辛い。この瞬間、どうすれば自分をケアできるだろうか?」と立ち止まって考えることを意味する。自分自身に温かく接することで、他人から親切にされた時と同じように、認められ、支えられ、励まされていると感じる。
② 自らの苦悩や苦境を認知的にどのように理解するか
(共通の人間性 vs 孤立)
自己への思いやりに内在する「共通の人間性」という感覚は、他者から切り離されているのではなく、繋がりを感じられる助けとなる。失敗したり間違いを犯したりすると、私たちは不合理にも、他の人は皆大丈夫で、自分だけが失敗したように感じてしまいがちである。これは論理的なプロセスではなく、私たちの理解を狭め、現実を歪める感情的な反応である。そして、たとえ自分のせいではない困難な生活環境から苦悩が生じているとしても、どういうわけか他の人はもっと楽に過ごしているように感じてしまいがちである。まるで何かが上手くいかなかったかのように反応し、人間であるということは困難に立ち向かい、傷つきやすいことも意味することを忘れてしまう。この異常な感覚は、恐ろしいほどの疎外感と「孤独感」を生み出し、私たちの苦しみを悪化させる。
しかし、自己への思いやりによって、人生の困難は人間であることの一部であり、私たち皆が共有する経験であることを認識する。実際、私たちの苦悩こそが、私たちを人類の一員たらしめているのである。「共通の人間性」という要素は、自己への思いやりと自己憐憫を区別するのにも役立つ。定義上、思いやりは関係性に基づくものである。それは、苦しみの経験における基本的な相互性を意味し、人間の経験は不完全であるという認識から生まれる。私たちが人間性に触れるとき、誰もが苦しみを経験していることを思い出す。きっかけは異なり、状況は異なり、苦みの程度は異なるが、不完全さの経験は共有されている。私たちが「共通の人間性」を思い出すとき、私たちは「孤立感」や孤独感を軽減することができる。
③ 苦しみにどのように注意を払うか
(マインドフルネスと過剰同一視)
自分自身に思いやりを持つためには、自分の痛みに向き合い、それを注意深く認める必要がある。マインドフルネスとは、現在の瞬間の経験の不快感を避けたり誇張したりしない、バランスの取れた認識の一種である。痛みを認めなければ、自分自身に思いやりを示すことはできない。同時に、苦しんでいるという事実と戦い抵抗すると、注意力が痛みに奪われすぎて、自分の外に出て、自分自身をケアするために必要な視点をとることができなくなる。自分の否定的な考えや感情に過度に同一化し、嫌悪反応に流されてしまう場合がある。このような種類の反芻は焦点を狭め、自尊心への影響を誇張する。間違いを犯しただけでなく、「私は間違いだ」と考える。何かひどいことが起こっただけでなく、「私の人生はひどい」と考える。過剰な同一視は、瞬間瞬間の経験を具象化してしまい、一時的な出来事を決定的で永続的なものとして認識してしまう傾向がある。しかし、マインドフルネスによって、私たちは否定的な思考や感情が単なる思考や感情に過ぎないことを認識するようになる。これにより、それらに囚われたり、同一視したりすることが少なくなる。私たちは、困難に対して思いやりを示すために必要な視点を持つことができる。だからこそマインドフルネスはセルフ・コンパッションの基盤となる。
*以上の①〜③は、Neff,K:Self-Compassion:Theory,Method,Research,and Intervention. Annual review of psychology,Vol.74,p193-218,2023.より引用.
リハビリテーションの臨床研究として取り組むべきだ
セルフ・コンパッションは自分への優しさだけでなく、自己批判を含んでいる。この自己批判が理解の出発点であるように思われる。そして、自己への思いやりに内在する「共通の人間性」という感覚は、他者から切り離されてはいないという「繋がり(関係性)」を感じられる助けとなる。注意すべきは、他者を自分と違って幸福だと感じてしまうことである。それが疎外感、孤立感、孤立感を生む。また、自己を思いやるためには、苦悩と向き合う勇気が必要である。その時、人生の困難は人間であることの一部であり、人々が共有する経験であると認識しなければならない。自分の否定的な考えや感情に過度に同一化してはならないということである。そうした否定的な思考や感情は単なる思考や感情に過ぎない。それは変化する思考や感情である。
誰もが自己を思いやって生きている。リハビリテーション室に来る患者さんたちも同様である。だが、自己への思いやりには、適切な「思いやり方」があるようだ。単に自己に優しいだけではいけない。現実の苦悩は優しさだけでは乗り越えることはできない。重要なのは、自己を愛して、自己を内省して、可能性を発見して、自己否定の感情から抜け出すことである。それは簡単なことではないができる。
強調したいのは、こうした「自己との対話」が科学的でないという理由で無視されている点である。患者さんたちは、どんなセルフ・コンパッションをしているのだろうか。損傷を受けた脳が営むセルフ・コンパッションは、どんな風に変容するのだろうか。それらに治療的に介入することは可能なのだろうか。セラピスト(PT、OT、ST)は、リハビリテーションの臨床研究として取り組むべきだ。
セルフ・コンパッションは「自己慈悲」と訳すのがいいと思う。仏教において慈悲は「他の生命に対して楽を与え、苦を取り除くことを望む心の働き」である。
彼に対して、何かもう一言発するべきではなかったか。
淡い後悔のような感情が沈殿している。
自己への思いやりをもって、人生を歩んでほしい。
リハビリテーションはもっと頑張らなければと思う。
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