認知神経リハビリテーション学会

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メッセージNo.14  「幼児虐待と運動療法」

 ある幼児虐待のニュースについて触れておきたいと思う。それはテレビで流れた一瞬の話しなので詳細は不明だが、内容の概略は次のようなものであった。

 愛知県のどこかの町で、5歳位の男の子が若い父親に虐待を受けて死亡した。その子は父親になつかなかったようである。というのは、母親は再婚で、その子は連れ子だった。死亡原因は衰弱した状態に暴力が加えられての脳部外傷が原因のようだが、問題はなぜ子どもが衰弱していたかである。もちろん十分な食事は与えていなかった。そして、その子には、毎夜、2000回という「立ち上がり動作」の反覆が父親の命令で強要されていたという。だから、衰弱していたのだという。ニュースはそれで終わった。

 一般の人々なら、ここから創造力を働かせて、この悲惨な結末を生んだ原因を推察し、犠牲となった子どもの無念さに涙するだろう。

 もちろん私も無償にくやしい。そして、それ以来、そのシーンが脳裏に時々浮ぶ。夜、家で立ち上がり動作を延々と続けている子どもの姿である。父親は寝ころがってテレビを見ている。母親もソファに坐ってお菓子でも食べながら一緒にテレビを見て笑ったりしているのかも知れない。部屋の片隅に立ち、膝の屈伸を続ける子どもは声は出さなかったのであろうか。疲れて登はん性起立をしているのだろうかと思う。5歳では逃げ出すことも知らなかったのだろう。

 私が言いたいのは、次の点である。「立ち上がり動作」は、リハビリテーションの臨床では「立ち上がり訓練」と呼ばれる重要な運動療法手段のひとつである。それはセラピストの指示によって患者が遂行しなければならない動作である。そこには、それを「強要」されるという共通点がある。虐待になるかならないかは単に「回数」の問題に過ぎない。いったい、これは何を意味しているのだろうか。こんな若い父親でもできる「立ち上がり動作」の強要を、その回数が違うだけで「運動療法」と呼ぶ、このリハビリテーション技術とは何なのか。セラピストは、この若い父親でもさせることができる「立ち上がり動作」を「運動療法」と認めてはならない。臨床の場で、平行棒の中で、単に患者を立ち上がらせるのであれば、この若い父親でも出来る。運動療法とは、そんなものでは決っしてないはずである。

2002.2.2

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