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「発達性協調運動障害(developmental coordination disorder,DCD)=子どもの失行症(dyspraxia)」は子どもの約5%に認められる「神経発達障害」であり、全身運動(粗大運動)や微細運動(手先の操作)が不器用で、行為の実行と学習に影響を与え、日常生活、作業活動、スポーツ、遊び、対人能力、社会活動、学業などに深刻で永続的な影響を及ぼす。また、Warlopによれば、DCDは注意欠陥多動性障害(ADHD)や自閉スペクトラム症(ASD)などの他の発達障害に併発することが多く、その病態と症状の両方を複雑にしている。
現在、DCDが出現する脳の認知神経メカニズムは十分に解明されていない。そのため、現在の行為の改善のためのリハビリテーション介入は、その原因となっている脳の認知神経メカニズムに介入していない。つまり、リハビリテーションの多くは一般的な行為の難易度に基づく行為の反復練習であることが多い。DCDへのリハビリテーション介入をより治療的なものにするためには、DCDの行為障害の病態への深い理解と脳の認知神経メカニズムを考慮したリハビリテーション治療の最適化が望まれる。
DCDの認知神経メカニズムの特徴の一つとして考えられるのは、行為の「予測メカニズム」の問題である。すべての行為には予測が先行する。この「予測」は感覚運動レベルから社会活動レベルに至るまで階層的に多様であるが、DCDでは特に行為の運動制御と運動学習における内的な「運動表象(motor
representations)」に問題があると考えられる。
運動表象は狭義には「運動イメージ(視覚イメージ、体性感覚イメージ)」のことだが、広義には運動における姿勢の変化、各関節の空間的なアライメント(配置)の変化、体性感覚の変化を表象するだけでなく、行為の手続き、シィークエンス、結果も含める。たとえば、手で物体を掴む場合、その運動は異なる方法で行われる。それは右手、左手、両手で行うかもしれないし、運動機能は異なるし、どのような行為の結果を予測しているかによっても異なる。
つまり、行為には運動イメージが先行するが、行為には運動表象が先行すると解釈すれば、それらすべての運動表象の可能性が行為の準備過程に関わっていて、そうした複数の運動表象の中から唯一選択(意志決定)された運動表象の想起によって行為が実行される。
そして、それは単に運動の問題ではなく、知覚の問題でもある。なぜなら、最適な運動制御と運動学習には「知覚と行為の結びつき(つながり)」が必要だからである。この知覚と行為の関係性を無視して、知覚だけを学習しようとしたり、運動だけを学習しようとしても、行為は発達しない。行為は運動技能であり、「知覚と行為の結びつき(つながり)」を強化することで発達してゆく。
その時に重要なのが「運動表象」の本質的な意味である。すべての行為(運動)は、運動によって生み出す感覚フィードバック、または予測される運動後の感覚結果によって表象される。運動表象の本質は運動でもなければ、知覚でもなく、運動と知覚の関係性である。ある一つの知覚は複数の運動によって得られるし、ある一つの運動は複数の知覚によって得られる。
したがって、運動表象は「行為のシミュレーション」である。特に、行為は連想シーケンス学習であることが多い。それは運動を実行し、その感覚結果を知覚する繰り返しの経験を通して、知覚と行為のつながりを強化する。その結果、行為が成功するにはどうすればよいかを脳内シミュレーションする能力が発達してゆく。この脳内での行為のシミュレーションに使われるのが「運動表象」である。行為の事前練習であり、心的練習であり、運動イメージや知覚仮説と呼ばれることも多い。
また、こうした行為のシミュレーションの発達によって、他人の行為を観察すると、その行為の運動表象が自動的に引き起こされる。その観察した行為を脳内で模倣する傾向は運動発達過程においては無意識的に生じる。
この「他人の行為を観察すると、その行為の運動表象が自動的に引き起こされる」という現象は、「自動模倣(automatic
imitation)」と呼ばれている。DCDの場合、行為の予測の認知神経メカニズムに問題があると考えられる。運動イメージ、運動表象、行為のシミュレーション、の想起に問題があり、知覚と行為の結びつき(つながり)が上手く行かず、この「自動模倣」が生じないと考えられる。また、「自動模倣」は無意識的な「空想」に近い。言わば「自動模倣」の想起不全は自然な空想の欠如でもある。
たとえば、他者がドアの前に立っているのを見ても、次にドアを開ける行為(運動)を予測的に自然に表象できない。他者がドアを開けるのが見えても、その運動感覚を自然に想起していない。他者がドアを開ける時にどのように運動したり知覚しているかを、事前に自己が自然に予測していない。そんな無意識な「自動模倣」が困難で、それが社会活動の「自動模倣」の困難さへと続いているのではないだろうか。
もちろん、運動発達においては意識的な「模倣」が求められる場合もある。しかし、それは幼児期の言葉を習得した後であることが多い。また、自動模倣が習慣化されていなければ、通常の行為の「模倣」の学習が困難になるだろう。
さらに、Warlopによれば、観察された行為の外部から引き起こされた運動表象は、実際の行為の実行中に自己生成された運動表象と衝突したり競合したりする可能性がある。つまり、観察された動作と実行された動作の間に不一致がある場合、観察された動作と実行された動作の内部運動表象が衝突するため、反応時間が長くなる。これがDCDの行為の遅さやエラーの原因である可能性がある。
行為が遅かったり、行為のエラーが目立つと、「不器用な子ども」になってしまう。自動模倣が瞬時に想起できるようになれば、行為が素早く正確になる可能性がある。しかしながら、その行為の学習は「学習する経験」がなければ発達しない。
脳科学では、「模倣」はミラー・ニューロンシステムで説明される。だが、「自動模倣」は「観察された行為」の「自己生成した行為」の競合である。DCDでは、「観察された行為」は運動表象しているが、「自己生成した行為」の運動表象は想起されていないのではないか。おそらく、いくら自己生成しようとしても時間的に間に合わないのだろう。この「自己生成した行為」は、「観察された行為」を見た瞬間に他者が次に(未来に)何をするかの予測である。その予測は自己の過去の行為の経験と記憶に基づいて自発的に想起される未来である。この過去の記憶を未来に投げかけることを「展望記憶(prospevtive
memory)」という。
その意味では、DCDは運動イメージ、運動表象、行為のシミュレーション、の想起に問題があり、「自動模倣」しないが、その奥底には「自己と他者の行為への興味(共感)」という問題が潜んでいるのかもしれない。
なぜなら、人間は興味のないことは記憶しないからだ。勉強も同じで興味がなければ学習しない。他者に興味がなければ「自動模倣」しないし、記憶がなければ「展望記憶」もない。大田によれば、「展望記憶は未来の出来事を意図し、自発的に想起する」。「自動模倣」は無意識的で、「展望記憶」を介した未来の行為の予測は意識的(意図的)である。DCDでは自己の意図(行為の展望記憶)を、他者の「行為する脳」に投げ込むことができない。
おそらく、それは「行為の成功と失敗」だけの世界で生きているということだ。行為の成功と失敗に興味があっても、なぜ成功したか、どうして失敗したかに興味がなければ行為の学習は生じない。これは身体感覚への興味の欠如に根ざしているのかもしれない。それでは「自動模倣」も、「展望記憶」も育たない。
人間は日々の生活で無数の自動模倣を試み、展望記憶を想起し、その「空想」の中から不必要なイメージを捨て、いくつかの可能性の中から最適なイメージを選択して生きている。その脳の認知神経メカニズムは科学的には未知だが、現象的には自然で普通のことである。なぜなら、運動は現在進行形だが、行為の結果はいつも未来形だからである。
行為の学習は反復練習によって自然に生じるのではない。
DCDのリハビリテーションは「自動模倣」や「展望記憶」に介入する手段を開発する必要がある。
文献
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