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土佐(高知)の観光といえば、坂本龍馬の銅像が立つ「桂浜」と清流「四万十川」が有名である。そして、観光客は「鰹のタタキ」の美味しさに驚く。だが、地元の者として言わせてもらうと、高知で最も素晴らしいのは「太平洋」である。
太平洋を実感したければ、大方町に行って「ホエール・ウオッチング」を楽しめばよい。漁船で土佐湾を泳ぐ「鯨」を探すのである。「よさこい節」では「おらんくの池には塩吹くクジラが泳ぎよる」と唄われている。360度の大海原と広大な青い空の下でのクジラとの出会いは、一生忘れられない体験となるだろう。季節は夏休みがよい。子どもも大喜びする。ただ、異常な暑さなので、麦わら帽子が必要である。
ここで、江戸時代の土佐に想いを馳せてみよう。肌が焼けるような夏のある日、漁村から数十隻の小船が出航する。一隻の小船には7−8人の「ふんどし姿」の裸の男たちが乗っている。手には長い槍(ヤリ)を持っている。太平洋の大海原に漕ぎ出し、しばらくすると巨大なクジラが泳いでいる。数十隻の漁船はクジラの回りを取り囲み、そしていっせいに何十人もの男たちが海に飛び込み、クジラの脊中に乗り、ヤリを突き立てる。クジラは塩を吹き、血みどろになり、暴れ狂うだろう。男たちの何人かは、ヤリを握る手が離れ、クジラの背中から振り落とされ、海に投げ出されて命を落とすだろう。壮絶なクジラと男たちの闘いのドラマが、数時間くり広げられるだろう。
やがて、男たちは勝利し、グジラを漁村の浜辺に運行する。砂浜では女や子どもたちが歓声を上げて待っている。老人たちも嬉しそうに微笑んでいる。これで数ヶ月、漁村の人々は生きてゆくことができる。クジラの肉や脂や皮は村人に平等に分けられるのだ。だが、悲しみもある。命を落とした男たちの家族の涙である。
かつて、土佐の漁村の人々はこうして生きていた。生きることは自然の恵みを得ることであると同時に、深い悲しみを生み出す自然との闘いでもあったのだ。
土佐の浜辺で生まれ育った僕は、時々、自分が数百年前に生まれていたら、きっとクジラの背中に乗ってヤリを突き立てていたのではないかと想像する。それが数百年後に生まれたばかりに、理学療法士となってリハビリテーション医療の世界で働いている。
どちらが幸せなのだろうか? そんなことは考えても仕方ないことだが、ロマンをもって仕事をしたいと思う。
土佐の夏、相変わらず灼熱の太陽が、海と大地と人々を照らしつづけている。
(高知医療学院理学療法学科 宮本省三)
「医道の日本,2008年8月号,掲載」
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