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『医学』において「アブダクション(abduction)」とは「外転」と訳される。
たとえば、肩のアブダクションとは矢状―水平軸での前額面上の運動である。解剖学的基本肢位での関節の運動方向として定められている。そして、肩のアブダクションを実行する筋は三角筋と腱板(Rotator cuff muscles,棘上筋、棘下筋、小円筋、肩甲下筋)である。
一年近く前、「五十肩」で悩んでいた。肩のアブダクションが90度位までしかできず、疼痛が生じていた。自己診断では「軽い腱板損傷」であった。別に日常生活には困らないので、病院には行かず、自分で運動療法もせず、安静にしていた。しかし、半年位しても変化はなく、状態は一進一退で、肩周囲筋の筋力低下が起こりつつあった。また、ゴルフはできなかった。
そこで学生の臨床実習巡回で大阪のS総合病院を訪問した際に、あるセラピストから「肩の認知神経リハビリテーション」を20分くらい受けた。肩周辺にスポンジを接触させて注意を触圧覚に向けたり、体幹の左右差を比較したり、肩関節や肩甲骨の運動イメージを想起する治療を受けた。すると、治療直後に、ほぼ完全な肩のアブダクションが可能となり、疼痛は激減した。
それはまるで「魔法のようなテクニック」であった。治療の即効性というは、身体に物理的な問題が生じている時には有り得るのだが、この治療の即効性は脳の表象の改変によって生じていることになる。どうやら、問題は「肩甲骨の動きがよくわからなくなっていたこと」にあったようだ。
この「魔法のようなテクニック」は、その時に治療を見学していたS総合病院の大勢の若いセラピストたちも参考になったはずである。治療を受けた後にスムーズに肩が挙上できた僕の嬉しそうな顔を、若いセラピストたちは今でも憶えているはずだ。その時、きっと若いセラピストたちはとても驚いたはずである。君たちの優れた先輩セラピストは、あの公開治療のような場で、肩の機能と疼痛の即効的な患者の変化を君たちに見せたのである。ペルフェッティによれば「リハビリテーションは驚きから始まる」という。若いセラピストたちだけではなく、患者である僕自身も驚いた。
そして、その後の予後も順調で、今では何の問題もなく肩のアブダクションが完全にできる。ゴルフもできるようになった(但し、スコアは変わらなかった)。僕は、意味はよくわからなかったが、魔法のようなテクニックをもつセラピストから、整形外科疾患に対する認知神経リハビリテーションの即効性について勉強する必要性を身をもって教えられたことになる。今後は、どうしてこんなことが起きるのか、その臨床推論が必要だろうと思った。
今回は、そのお礼に、S総合病院の「魔法のようなテクニック」をもつセラピストと若いセラピストたちに、「アブダクション」という言葉にはもう一つ別の重要な意味があることを伝えておこう。もちろん、これから説明するアブダクションは、肩の治療の即効性を導いた脳の中で肩や肩甲骨のアブダクションを運動イメージすることを指しているのではない。もう一つ別のまったく異なる意味をもつアブダクションという言葉である。
『認識論(エピステモロジー)』において「アブダクション(abduction)」とは「仮説形成」、「仮説的推論」、「発想推論」、「最良の説明への推論」とも訳される。
意味的には「個別の事象を最も適切に説明しうる仮説を導出する論理的推論」のことであり、要するに「結果や結論を説明するための仮説を形成すること」をいう。つまり、アブダクションとは「人間の脳が仮説を構築するための思考法」のことだ。
アブダクションの思考法は、代表的な思考法である演繹法や帰納法とも異なる。その最大の特徴は、失敗の原因を探ったり、計画を立案したり、暗黙的な仮説を形成したりすることにも応用できる点だ。たとえば、計画(プログラム)の論理的な誤りを探し出し直すという過程では、アブダクティヴな解釈と推論が行われており、一般的な立証論理の手法と通じるものがある。
この「アブダクション」という言葉はグレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)が『精神と自然: 生きた世界の認識論(佐藤良明訳、新思索社,2001)』という本で使っている。この本は僕がサントルソ認知神経リハビリテーション・センターで研修している時、ペルフェッティ先生が勉強会のテキストにした本で、その第5章「重なりとしての関係」の中に出て来る言葉だ。
ベイトソンは「アブダクション(abduction)」を次のように説明している。
われわれは自分たちの住んでいる世界に、あまりに慣れっこになり、その世界を考えるちっぽけな思考方式にはまり込んでいるために、「アブダクションが可能だ」ということがいかに驚嘆すべきことか、ほとんど気づくことなく暮している。
アブダクションとは、たとえば、世界のある出来事なり事物なり(例=鏡の前でヒゲを剃っている男)をまず記述し、その記述のために工夫されたのと同じ規則に当てはまる類例を後から捜していくことが可能ということだ。
解剖学の例で言えば、カエルの体の構造を調べて、それと同じ抽象的関係がわれわれを含む他の生物にも繰り返し見られないかと捜していく、そんなことが可能なのである。
このように、ある記述における抽象的要素を横へ横へと広げていくことを「アブダクション」と呼ぶ。読者はこれを新鮮な目で見てほしい。アブダクションが可能だということ自体、少々薄気味悪いことである上に、そのアブダクションが思いもよらぬほどの広大な範囲にまで広がっているのである。
隠喩、夢、寓話やたとえ話、芸術の全分野、科学の全分野、すべての宗教、すべての詩、トーテミズム、比較解剖学における事実の組織、これらはみな、人間の精神世界の内部で起こるアブダクションの実例、もしくは実例の集体である。
このように、アブダンションとは「人間の脳=精神」の思考法を意味している。つまり、僕ら人間の「脳の魔法のようなテクニック」のことだ。
たとえば、セラピストは「肩関節の外転」もあれば「股関節の外転」もあると思考できる。この二つの異なる運動が同じだと認識する思考は「脳のアブダンション」の機能である。あるいは、この脳のアブダクションによって、中枢神経系の階層性(大脳皮質、中脳、脳幹、脊髄)とS病院の階層性(院長、リハビリ部長、魔法のテクニックをもつセラピストである科長、若いセラピスト)とを関係づけることができる。
こんな例は他にもたくさんあるだろう。視覚(絵画)、聴覚(音楽)、体性感覚(スポーツ)の世界でもあるだろう。文学的な「比喩(メタファー)」も言葉の意味レベルでのアブダクションだろう。普段、さまざまなことを思考する時、人間の脳はアブダクションによって異なる事物や現象を比較しながら認知している。僕らはそうして世界を理解しているのだろう。認知は単なる脳の表象ではなく、認知は意味的に関連づけようとする思考法に基づいてつくられる「脳の産物」だということだ。
ペルフェッティ(Perfetti, C)先生は、この「脳の産物」を「脳の果実」と呼んでいた。これもアブダクション思考だ。「脳」を「認知の樹」と解釈している。そうして「産物と果実」が関連づけられ、僕らはそれが「創発特性」のことだという「意味」を知るに至るのだ。バレラ(varela,F)が強調しているように、人間が認知している世界は脳の創発特性(産物)であり、行為や運動機能回復もまた創発特性(産物=果実)だろう。
こんな風にアブダクション思考すると、ベイトソンとバレラとペルフェッティの思考を関連づけることもできるだろう。あるいは、臨床で、整形外科的な肩の疼痛の治療の即効性と片麻痺の肩の疼痛の治療の即効性とを関係づけることもできるかも知れない。
「アブダクション」、同じ言葉でもこんなにも違う意味で使われている。セラピストの日々の臨床での治療の多くは即効的ではないかも知れない。すべてを「魔法のテクニック」で解決することはできない。
そんな時、患者の「脳のアブダクション」に働きかける必要がある。そんな治療が必要だ。なぜなら、「アブダクションを行うことのできない世界では思考はまったく停止してしまう(ベイトソン)」からである。
セラピストは自らの思考を停止させてはならない。「脳のアブダクション」を活性化して、患者の思考を拡張する治療を展開してほしい。
今、サントルソ認知神経リハビリテーション・センターでは、ベイトソンの娘のノーラ・ベイトソンら、世界中の学者たちが集まって国際的なミーティングをしている(年3回予定) 。次のようなメンバーだ。
Nora Bateson (Presidente dell'International Bateson Institute - Canada/Svezia)
Graham Barnes (Psicoterapista; Svezia)
Jeff Bloom (esperto di sistemi educativi; USA)
Tom Cummings (economista, filosofo; Olanda)
Serena Dinelli (educatrice, psicologa; Italia)
Jesper Hoffmeyer (professore in biosemiotica; Danimarca)
Phillip Guddemi (antropologo; USA)
Alfonso Iacono (Filosofo; Italia)
Torbjorn Jiredal (esperto di marketing e comunicazione; Svezia)
Howard Kornfeld (medico esperto in dolore e dipendenze; USA);
Giovanni Madonna (psicologo, psicoterapeuta; Italia)
Stephen Nachmanovitch (musicista, educatore, esperto di improvvisazione; USA)
Anders Wijkman (politico; Svezia)
Rex Weyler (fondatore di Grennpeace; Canada).
きっと、彼らもまた、パンテやリゼッロらと一緒に、ベイトソンとペルフェッティの思考をアブダクションしようとしているはずだ。新しい臨床の知を創発するために…
サントルソでのマスター・コース出発前に(2015,3,17)
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