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メッセージNo.80 “雨の中の涙” −意識は感情によって意味を知る

 映画『ブレードランナー( Blade Runner)』は1982年公開のアメリカ映画。監督はリドリー・スコット。フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作としている。

 2019年、地球環境の悪化により人類の大半は宇宙に移住し、地球に残った人々は人口過密の高層ビル群が立ち並ぶ都市部での生活を強いられていた。宇宙開拓の前線では遺伝子工学により開発された「レプリカント」と呼ばれる人造人間が、奴隷として過酷な作業に従事していた。レプリカントは、外見上は本物の人間と全く見分けがつかないが、過去の人生経験が無いために「感情移入」する能力が欠如していた。ところが製造から数年経てば彼らにも感情が芽生え、人間に反旗を翻す事態にまで発展した。しばしば反乱を起こし人間社会に紛れ込む彼等を「処刑」するために結成されたのが、専任捜査官“ブレードランナー”である・・・(Wikipediaより引用)

 君は『ブレードランナー』を観たことがあるだろうか? ブレードランナーはハリソン・フォードが、レプリカント(ロイ・バッティ)はルトガー・ハウアーが演じている。
 彼(レプリカント)は人間の身体を持っていない。彼は人間の能力を超える身体を持つ「奴隷」として、人間によって作られた。同時に、意識や言葉や知能も持つように作られている。ただし、感情は持てないように作られた。経験に個人的(一人称的)な意味を与えないように作られた。だから、喜んだり、悲しんだりしない。誰かに恋することもない。仲間が死んでも何も感じることができない。自分の人生に意味を与えることもできない。死への恐怖もない。
 彼は人間の奴隷なのであり、人間の代わりに宇宙の果てで戦ったり、人間には不可能な危険な仕事をしていればよい。ただ、人間から指示された自分の任務を果たせばそれでいいのだ。

 映画の最後に、彼(レプリカント)は独白する。

 『俺は、お前たち人間が信じられない光景を見てきた。オリオンの肩で炎上する宇宙船や、タンホイザー・ゲートの近くの暗闇で光るC-光線などを。これらすべての瞬間は、もはや失われる。”雨の中の涙”のように。死ぬ時がきた。』
(原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.)

雨の中の涙

 未来都市には雨が降っている。彼の顔にも雨が降り注いでいる。泣いているように見える。だが、彼は笑っている。彼はレブリカントだから、「感情」を持っていないから・・・。
 しかし、彼は人間が感情を持っており、感情が高まると、雨が滴り落ちるように、目から涙が流れることを、涙が頬をつたうことを、知識としては知っている。
 だから、この最後の独白(モノローグ)の「雨の中の涙のように(like tears in rain)」という比喩は、彼が人間(ハリソン・フォード)に自分の感情を伝えようとした言葉だ。
 そして、彼の独白は、「意識は感情によって意味を知る」ことを教えてくれる。「意識は感情を創発する」ということだ。創発とは、下位レベルの統合が上位レベルの何かを生み出すことだ。意識に感情が付与されることで精神が生まれる。記憶をもつ自己、内省する自己が生まれ、人生に意味を与えることができるようになる。そして、死を知ることもできるようになる。つまり、意識の志向性が外部ではなく内部の感情に向けられた時、経験や記憶に意味があることを知る。この意識の感情への投射(projection)。この意識の感情化によるリフレクション(reflection=内省)が自己意識としての「精神」の根源だと思う。
 彼(レプリカント)は、自己の身体が人工的であるが故に、感情を消去されていたがゆえに、意識はもっていても、人間の精神(経験、感情、記憶、内省、人生の意味)が創発できなかった。その精神は意識の産物ではあったが、人間と同じ『身体化された感情』を持っていなかった。感情は身体に根ざしている。
 だから、「意識は感情によって意味を知る」というのは、「意識に感情が張り付けば精神が生まれる」ということだ。人間だけが涙を流す。涙は感情である。人間の身体を持つ者だけに感情は生まれる。”雨の中の涙”は身体化された精神の発露だということだ。彼は感情を持ったレプリカント、つまり「人間」になったのだ。それが彼の独白の意味だ。

 この映画は詩情に溢れていた。
 雨が涙のように見えた。

    ・・・・・  

[追記]
 そして、35年の歳月が流れ、今、新作『ブレードランナー2049』が公開されている。この続編を観て、札幌での「第18回認知神経リハビリテーション学会−身体性認知神経科学とリハビリテーションの臨床」に参加しようと思う。学会では「身体化された精神」、あるいは「精神化された身体」についての学会長講演(木村氏)、教育講演(森岡氏)、特別講演(河島氏)、症例検討(多数)、ポスター発表(86題)、市民公開講座と臨床講義(高橋氏、本田氏、新開谷氏、木村氏)、シンポジウム(基調講演・園田)がある。また、学会に合わせて『豚足に憑依された腕(本田慎一郎著・協同医書)』も出版されるようだ。
 そして、これらすべては『ブレードランナー』とつながっている。だから、僕は、最後のシンポジウムで『身体化された感情』、あるいは『感情化された身体』について、少し独白しようと考えている。解説はフィリップ・K・ディックを愛する中村氏がしてくれるだろう。臨床経験は奥埜氏と木村氏が語ってくれるだろう。討議は園田氏がまとめてくれるだろう。そんなシンポジウムに期待してほしい。
 僕の場合、『ブレードランナー2049』を観ることと『学会』に参加することは、同じ行為であり、同じ脳領域が活性化する。どちらがより感情を動かしてくれるか、どちらが素晴らしい経験をもたらしてくれるのか、その個人的な「行為間比較」が楽しみだ。映画は傑作かも知れない。学会よ、頑張れ!。

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