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サントルソ認知神経リハビリテーションセンターで研修していた時、”胸いっぱいの愛を”見たことがある。
午前中、男性の片麻痺患者の左上肢へのPante先生の訓練を手伝った。後半には半側空間無視に対する新しいアイデアの訓練を僕が試みた。座位で閉眼させ、僕が両手で彼の頭部をゆっくりと他動的に左右に回旋する。そして、彼は体幹に対して頭部が「正中」に来たと感じた時に「止めて」と解答しなければならない。彼の頚部の空間認知(運動覚)が正確なら、頭部の正中線と体幹の正中線は一致する。ところが、彼は頭部が正中から20度も回旋している時点で「止めて」という。何度か繰り返しても、不一致になってしまう。左右の頚部筋の筋緊張も違う。前方の机の上に垂直な棒を立て、目を開けて、その差異を確認させていた。
昼休み、食事の後、2階の屋外テラスに行った。テラスからは眼下にサントルソの街が一望できる。角を曲がった瞬間、僕の足が止まった。10mくらい先に、車椅子の彼がいた。そして、女性が、彼に抱きついていた。彼は車椅子に座ったまま頭部を垂れていた。泣いているように見えた。女性の顔は見えない。金髪の乱れた髪が、彼の胸を覆っていた。女性は車椅子の側方から立ったまま体幹を曲げ、両手を彼の頚に回し、彼の胸に顔面を沈めていた。彼の胸に彼女は自分の顔を埋めていた。彼女もまた泣いているように見えた。そして、彼は、彼女の背中に右手を回して強く抱きしめていた。
二人は、時間が止まっているかのように動かなかった。
だから、僕も足が止まったまま動けなかった。
少しして、僕は視線を変え、テラスの欄干に肘をつき、サントルソの街を見た。灰色がかった白の空が遠くに広がり、家々や木々が点在していた。
そこには、抱き合ったまま泣いている二人がいて、遠くを眺める僕がいた。
そこには、沈黙の時間があった。
その沈黙の時間の長さが、二人の苦悩を僕に教えてくれた。二人の回復への期待を僕に教えてくれた。二人の愛の絆を僕に教えてくれた。
午後、彼は下肢の訓練をRizzello先生から受けた。2時間近く、僕はずっと見学していた。彼の左片麻痺は重度だった。彼は30歳ぐらいのビジネスマンだ。男前で背が高く、仕事ができるタイプだ。彼女は妻なのだろうか。二人に子どもはいるのだろうか。 あるいは、彼女は恋人なのだろうか。結婚で悩んでいるのだろうか。二人の未来はどうなるのだろうか。そして、セラピストは彼の半側空間無視や左片麻痺を回復させることができるのか・・・。
その日の訓練が終わったが、女性の姿は見えなかった。
彼女は”胸いっぱいの愛を”残して去って行った。
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