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メッセージNo.85 『新たなる傷つきし者』

 カトリーヌ・マラブーの『新たなる傷つきし者 −フロイトから神経学へ、現代の心的外傷を考える(平野徹・訳、河出書房新社,2016)』は重要な本だ。昨年の認知神経リハビリテーション学会(札幌)での河島則天先生(国立障害者リハビリテーションセンター研究所)の特別講演「左手をとりもどすまで−身体の存在と認識についての現象学的な試論」の司会の時のコメントでも引用した。おそらく、誰も憶えていないだろう。

カトリーヌ・マラブー著「新たなる傷つきし者」

 「新たなる傷つきし者」とは誰か? 人生で予想していなかった何かに遭遇して心的外傷(トラウマ)を受けた人々、突然の事故やいわれなき暴力の被害者たち、そして、アルツハイマー病や脳損傷といった神経疾患や精神疾患などリハビリテーションの対象となる患者たち、それらすべての誰かのことだ。
 神経疾患や精神疾患の症状は多様だが、自己に心的変化を起こす点では共通している。そして、損傷前の「古い自己」は、損傷後の「新しい自己」へと変容する。一般的には、この2つの自己は異なるが、それでも「自己を生きる」という点では同じだと解釈されている。しかし、かつての健康であった自己は、統合失調症、うつ病、脳卒中、認知症、高次脳機能障害、四肢切断、脊髄損傷後の自己とは異なる。彼らは身体障害や精神障害がどのような重篤なレベルであっても「新しい自己」として日々を生きる。
 マブラーは、損傷後の自己は損傷前の自己と連続しているとする考え方に対し、損傷後の自己は新しく作られると主張している。そして、それを人間の「可塑性」と呼んでいる。
 だとすれば、リハビリテーションの出発点において、「かつて、あなたはどんな人間であったのか?」と問いかける必要がある。本人が答えることができなければ家族に尋ねる必要がある。セラピストには一人一人の患者の個別性としての「古い自己」と「新しい自己」の差異を知ることが求められる。

 西山雄二氏は、マブラーの『新たなる傷つきし者』を読んで次のように語っている。

 「私事で恐縮だが、私が十歳のとき、父が脳内出血で倒れ、言語活動を失い、半身が麻痺してしまった。突然幼児のようになった父を見て、私は驚愕した。その後十年間、三度の手術を経て徐々に状態は悪くなり、最後は植物状態で彼は静かに呼吸を止めた。マラブーの斬新な主張に感銘を受けたいま、偶発事故によって根本的に変容した主体と過ごしたあの体験を、私は別な仕方で解釈することができる

 (週刊読書人ウェブ・脳と思考の新たな唯物論を示す:可塑性という概念を軸として:2016.9.23より引用)。

 ペルフェッティ先生は、”新しい認知神経学的人間”という言葉を使う。一度、サントルソでの臨床場面にやって来て、ミケーレという男子高校生の小脳損傷の患者を治療している僕に、突然、「ミケーレ君は認知神経学的人間になったか?」と聞いたことがある。僕は何のことかさっぱり意味がわからなかった。後で、研修生のヴァレリオに尋ねると、「自ら学習しようとする人間になったか?」という意味だろうと教えてくれた。リハビリテーションは「新しい自己」を作る学習プロセスだ。だが、その時、僕はミケーレの症状は知っていたが、彼が損傷前にどんな男の子であったかは知らなかった。一方、隣で治療を見学している母親は知っていた。今は、その違いが決定的なものであるように思われてならない。

 セラピストの目の前にはいつも「新たなる傷つきし者」がいる。僕らは、人間を、今までと異なる仕方で思考しなければならないのではないか? つまり、いくら脳の可塑性について勉強していても、疾患について知っていても、治療技術を持っていても、その目の前の患者がどんな人間であったのかを知らなければ、リハビリテーションは「新しい自己」をつくることには貢献しないという思考の仕方である。

 おそらく、この短い文章は意味不明で何も伝わらないだろう。
 ただ、「新しい自己」とは、「今までと異なる仕方で思考する人間」であることは確かだ。

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