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Paola Puccini先生の著書「子どもの発達と認知運動療法(協同医書)」の冒頭にPerfetti先生が「Holl未亡人の孫たちへ」と題する序文を寄せています。脊髄反射の発見者とされるMarshall Hall(マーシャル・ホール)は自称2,500万時間以上の余暇を反射の研究に捧げた学者で、1832年にカエルの脊髄の「反射弓」の発見し、50年後のSherrington(シェリントン)の実験を先取りしていた人物とされています。しかし、この脊髄反射の概念は序文でPerfetti先生がProhaska(プロチャスカ)という人物の名前を先に上げているように、1779年に既にProhaskaが「反射とは刺激への反応として観察される運動」と記載しており、Hollの業績には新しいものはなかったようです。そして、Marshall HollはProhaskaの原典を知っていたにも関わらず自分の論文に引用せず発表したため、「反射の発見者」としての優先権が与えられましたが、後にその事実が明らかになり非難されています。
この時代の有名な研究には、脊髄の後根からの感覚性求心性入力と前根からの運動性遠心性出力を区別する「ベル-マジャンディの法則(1822)」があります。ちなみに、ハーバード・スペンサーが「反射にもとづいて心理現象が構築される」としたのが1855年、パプロフの師セチェノフが「脳の反射」を著したのが1863年です。この頃、「随意運動は反射の集積である」とする考え方が確立されます。なぜなら、運動はすべて感覚入力から始まる生命の共通原理に従うからだと考えられたからです。そこには、行為に先行する脳の内的状態、運動する主体の意図への視点が欠落していました。その後、反射の解釈は19世紀末から20世紀初頭のジャクソンやシェリントンの時代へと突入してゆくことになります。
「どうして人間はこんなにも、動く主体の目的とは関係のないところで処理された活動や外的刺激を通じて、行動の組織化に干渉するという可能性に興味を示し、夢中になるのだろうか・・・」Perfetti先生の序文の一節ですが、ここにーは「反射」の研究史に対する深い洞察力と強烈な批判精神が込められています。
2000.5.16
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