認知神経リハビリテーション学会

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メッセージNo.106 トレードオフ

 「トレードオフ(trade-off)」とは、何かを達成するために別の何かを犠牲にしなければならない関係のことである。つまり、両立しえない関係を意味する。二律背反で、一方を取ると別の一方を失う。同時に両方を満たしたり高めたりすることができない。あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たない。一方を追及すれば他方が犠牲になる。たとえば、列車の停車駅の数を増やせば利便性が高まるが、それに比例して所用時間が伸びていく。
 元々はIT用語のようだが、今、まさにコロナ禍でトレードオフの問題が発生している。感染と経済の関係である。どちらを取るかで政府も苦慮している。色々な考え方があるが、感染を押さえて経済を高めない限り、国民は元の生活には戻れない。ワクチンができるまではトレードオフのバランスを取る状況が続くだろう。医療崩壊を避けながら経済を活性化するバランス戦略のようだが、感染による死亡者数と経済困窮による自殺者数を天秤にかける時、人間の命の価値が量的に計測されていることを忘れてはならない。国民が生活を営む権利は憲法で保障されている。今は、感染爆発を防ぎ、経済困窮者の生きる権利を保証するという戦略を優先する時期だと思う。しかし、経済を活性化しなければ新たな自殺者が増えるという確実なデータがある。本当に悩ましい問題だ。PCR検査の数が増えなければ解決策はないようにも思える。
 一方、まだ医療崩壊はしていないが、病院や訪問でのリハビリテーションも大変な状況になっている。だが、こんな困難な時期だからこそセラピストには訓練を継続して患者の回復と生活を支えてほしいと思う。コロナ禍は長期化し、生きることに困窮する人々が徐々に増加しつつある。そんな苦悩する人々に病院や在宅でのリハビリテーションを提供しつづけてほしい。人々が安心して暮らすことは簡単なことではないが、それに少しでも貢献するのがセラピストの仕事である。何も頑張っているのは医師と看護師だけではない。セラピストも闘っている。コロナ禍であってもリハビリテーションは不滅でなければならない。

 そして、このトレードオフはリハビリテーションにも関係している。僕はペルフェッティ先生から世界の何を見てもリハビリテーションの訓練に関係づけて思考するよう教えられた。だから、トレードオフと訓練を関係づけて思考してみようと思う。トレードオフと訓練はさまざまな点で関係づけることができるが、今回は「身体と物体の相互作用における知覚」について考えてみたい。ここではポイントのみ記すが、かなり難しいテーマである。
 身体と物体の相互作用における知覚とは、手足と物体の相互作用における知覚のことである。身体と物体の相互作用によって身体と物体は接触する。この時、知覚(接触知覚と空間知覚)が発生する。身体と物体の境界線は皮膚である。手は外部世界の物体の属性(表面、固さ、大きさ、形、摩擦など)を知覚する。同時に内部世界の手の空間定位、肘や肩の空間的な位置関係も知覚できる。足は外部世界の地面(床面)の属性(表面、固さ、水平性など)を知覚する。同時に内部世界の足の空間定位、膝や股関節の空間的な位置関係も知覚できる。これらは体性感覚による物体の「何の空間(What system)」と「どこの空間(where system)」のことである。
 人間は意識の志向性によって「外部世界(身体周辺空間の物体)」と「内部世界(身体空間としての自己)」のどちらの知覚にも注意を向けることができる。あるいは注意によってどちらも知覚できる。そして、行為における外部世界の物体の知覚と内部空間の身体の知覚はトレードオフの関係にあると言えるように思う。すなわち、意識の志向性を物体の知覚に向けると身体の知覚ができなくなる。逆に身体の知覚に向けると物体の知覚ができなくなる。それはトレードオフの関係であって両立しない。一方を知覚すれば他方の知覚は消え、他方を知覚すれば一方は消える傾向にある。
 おそらく、行為においてトレードオフのバランスの比率を取っているはずである。たとえば、一方を80%、他方を20%という具合である。しかしながら、手が物体の属性を80%知覚して、肘や肩の空間性を20%知覚するなどということが本当にあるのだろうか。あるいは、歩行時には足と地面が接触するが外部世界と内部世界の知覚の比率はどうなっているのだろうか。この点に関する脳科学の厳密な研究は読んだことがないが、経験的(心理的)にはバランス調整しているように感じる。なぜなら、比率は注意の集中と解放によって意識的に変化させることができるからだ。

 しかしながら、確認しておかなければならないのは、たとえば、物体の触覚や運動覚と身体の触覚や運動覚の二種類があるわけではない点だ。身体と物体の相互作用によって発生する触覚や運動覚は一つである。人間はその一つの触覚や運動覚を物体(外部世界)と感じたり身体(内部世界)と感じたりしている。
 問題は、それぞれの行為において外部世界と内部世界の知覚のトレードオフの関係が異なるという点だ。手で物体を操作する時と、足で床面を歩行する時では、かなりの差異がある。手の行為は外部世界の物体を知覚しながら行う。その点では身体の知覚をかなり消している。足の行為は身体各部の空間関係の変化を知覚しながら行う。その点では物体(地面)の知覚をかなり消している。手で持つ各種の物体は複雑で動的なものが多いが、足が接する床面は単純で静的だからだ。また、それによって知覚の予測がまったく違ってくる。手による物体の属性の予測は複数の多感覚モダリティで想起するため予測の自由度は多い。それに身体の知覚の変化を加えると情報処理の難易度が増す。一方、足による地面の属性の予測は床面の変化は一定しており予測の自由度は少ない。そのため身体の知覚の予測(身体各部の空間性や支持基底面と重心移動の関係)の情報処理に集中しやすい。
 あるいは、この身体と物体の相互作用の知覚におけるトレードオフのバランスの比率は、「顕在的意識」と「潜在的意識」の比率なのかも知れない。あるいは「明示的(エクスプリシット)な情報」と「暗示的(インプリシット)な情報」の比率かも知れないし、「三人称意識(物体)」と「一人称意識(身体)」の比率なのかも知れない。「右半球」と「左半球」の比率なのかも知れない。
 また、比率は行為の学習段階によっても違う。初期段階では行為は自動化できず意識的にコントロールしなければならないが、熟練期には自動化されてほとんど無意識的にコントロールされている。さらに、超越的なレベルもあるだろう。ピアニストは外部世界の物体の知覚や内部世界の身体の知覚よりも、音楽空間のメロディやリズムや質感を知覚している。

 また、この体性感覚の比率は視覚的に情景(シーン)を知覚する時の「ゲシュタルト知覚(gestalt)」、「ジスト知覚(gist)」、「レイアウト知覚(layout)」の区分と関係しているように思える。視覚は線などを特徴抽出するが、学習後は知覚レベルで物体を直接知覚する。たとえば、視覚的に情景を見る時、まず物体(オブジェクト)を見る。これは知覚のゲシュタルトであり、地と図の関係を見ている。中心視野と周辺視野である。しかし、情景内には複数の物体が含まれていることが多く、情景を見た一瞬においては個々の物体を明確に知覚しているわけではない。その一瞬には情景のジスト、つまり情景の全体像や特性を知覚する。ジストとは要旨のことで、知覚の大まかな印象の特徴抽出ことである。その後に情景の中に物体がレイアウトされて見えてくる。レイアウトとは物体の空間な配置(位置関係や遠近感)のことである。その上で情景の出来事が見え、情景に意味を与えたり、情景が美しいという感情が想起する。
 手で物体を掴む時も、これに似た体性感覚の知覚過程が働いている。体性感覚は多感覚であり、触覚、圧覚、運動覚、重量覚などの異種感覚モダリティの組み合わせによってゲシュタルト知覚する。さらに、一つの感覚モダリティ内の組み合わせによってもゲシュタルト知覚する。しかし、ジストやレイアウトのような知覚もある。

 たとえば、触覚にも「何の空間(What system)」と「どこの空間(where system)」があり、触覚は単一の触覚受容器による知覚ではなく多感覚統合されている知覚である(図1)。触覚も視覚と同様に物理的な差異を特徴抽出するが、ギブソンが主張するように学習すると「能動的触覚(active touch)」によって直接知覚する。また、物体の表面を感じたり、手の機能面を感じたりしている。同時に、道具を使って触覚を延長させたり、運動を予期したり(運動イメージ)、運動の感覚フィードバックに使われたりしている。運動主体感となったり、身体所有感になったりもする。情景を見ることが多様なように、物体に触れることの知覚にも接触と空間があって多様なのだ。また、行為において触覚のトレードオフの比率は変化している。したがって、触覚モダリティと視覚や聴覚の組み合わせと圧覚、運動覚、筋感覚、前庭覚などの組み合わせのトレードオフを考えると触覚は多様である。これだけ触覚が多様で連続的に変化するからこそ、頭頂葉にはポリモーダルな触覚ニューロンが存在し、手足の触覚的な運動制御を担う錐体路が発達しているのだろう。そして、運動野のニューロンは行為時の知覚のトレードオフの急激な変化に即応している。運動野は脊髄への運動出力と同時に触覚や運動覚を予測制御している。したがって、運動野は運動出力と知覚出力を同時に行っていると考えることもできる。
 さらに、行為は目的、環境状況、文脈、感情、意味や価値によって異なる経験となる。行為の経験には記憶が深く関わっている。記憶はエピソード記憶や手続き記憶として多感覚統合されているが、同じ行為においてトレードオフのバランスの比率の違いがある。あるいは、行為の記憶と現在の行為の比較においても違いがあるだろう。

こどもの両手が石や貝殻に触れている写真
図1 触覚は単一の触覚受容器による知覚ではなく多感覚統合されている知覚である

 つまり、行為の遂行には、それぞれの行為に応じて体性感覚的な知覚を「共時的(synchronique)」に統合し「通時的(diachronique)」に配分する神経メカニズムが必要である。そのためには複数の知覚情報が行為の瞬間ごとに取捨選択され、皮質間で分散した知覚情報が適切に束ねられて同期化しなければならない。行為における知覚は多感覚的にも体性感覚内であっても、共時的に分散しつつも通時的には同期化した連続でなければならない。
 この内、知覚の共時性は「バインディング問題(”結びつけ問題”、知覚の統合)」と呼ばれている。したがって、ここで提起しているトレードオフのバランスの比率とは、知覚の通時性であり、行為中の動的な知覚の配分の変化のことである。
 行為には物体の知覚情報の細分化(セグメンテ―ション)と身体の知覚情報の細分化(フラグメンテ―ション)が必要であり、それは行為の一瞬を空間的かつ時間的に統合して結びつけると同時に、行為中にはトレードオフのバランスの比率を変化させている。だから、行為は共時的なバインディングであると同時に、トレードオフのバランスの比率の変化の連続でもあるのだ。
 それぞれの行為の知覚の配分はそれぞれのトレードオフの関係にある。コーヒーカップを手で操作する時と椅子から立ち上がる時ではトレードオフのバランスの比率が異なる。前者では知覚はコーヒーカップの操作に向けられ、後者の知覚では頭部、体幹、下肢の位置関係の操作や重心移動に向けられている。そして、そうした行為を患者は上手く遂行できない。その現実を運動麻痺や感覚麻痺が原因と考えるのではなく、もっと異常な行為が出現する理由を再考すべきではないだろうか。多くの患者はバインディングが困難であると同時に、誤ったトレードオフの比率で行為していると仮説づけることができる。そして、これは行為の多感覚統合の問題ではなく、行為別の外部世界(物体)の知覚と内部世界(身体)の知覚の配分という「注意の分配」の問題なのだ。

 だから、ここで問題提案したいのは、行為の知覚には「バインディング問題(知覚の統合)」と「トレードオフ問題(知覚のバランスの比率)」という2つがあるという捉え方である。
 つまり、強調したいのは脳損傷によってバインディング問題が発生することは既に明らかだが、同時にトレードオフ問題も発生するという点である。特に、脳卒中片麻痺を始めとする中枢神経疾患では、身体と物体の相互作用の知覚におけるトレードオフのバランスの比率が狂っている可能性が高い。脳卒中片麻痺、失行症、半側空間無視、パーキンソン病、失調症、脳性麻痺、発達障害、整形外科疾患などの行為の背後には、バインディング問題とトレードオフ問題の病理が潜んでいるように思われる。
 古典的な運動療法では行為は「運動の連続」と捉えられてきた。認知運動療法では行為は「知覚の連続」と捉える。しかし、それだけは不十分である。確かに、認知運動療法では接触問題(表面、固さ、重さ)や空間問題(方向、距離、形)を与え、知覚を細分化しつつバインディング(知覚の統合)を図ろうとする。その意味では各訓練においては知覚が重視されており、外部世界(物体)と内部世界(身体)の関係も考慮されている。しかし、そうした訓練が行為におけるトレードオフの(知覚の比率)の学習につながっている保証はない。最近の行為間比較の訓練でもバインディングの比較が強調されており、トレードオフの比較の論議は少ないように思える。
 あなたは臨床で患者に行為を教える時、患者に物体の知覚を教えようとしているだろうか。それと自己の身体の知覚を教えようとしているだろうか。その意識の志向性、知覚の統合と知覚の比率、注意の分配は、セラピストの直感ではなく患者の病態によって決めているはずだ。しかし、それでも不十分な可能性が高い。なぜなら、セラピストはまだ誰も、行為によって異なる知覚のトレードオフのバランスの比率を知らないからである。
 知覚のトレードオフは行為の運動学習に不可欠である。セラピストが患者に行為を教える時には、どのように知覚を統合するか(バインディング)だけでなく、行為の順序に応じて優先的にどの知覚が必要であるかを予測することが重要である。さらに、その時、物体の知覚と身体の知覚のバランスの比率(トレードオフ)の変化を教える必要がある。セラピストは、患者のバインディング問題とトレードオフ問題を発見しなければならない。臨床で発見されなければ、その問題は運動麻痺や感覚麻痺で片づけられて存在しないことになる。そして、存在しない問題は治療されない。脳にはまだ知られていない知覚の病態があると思う。トレードオフという病態がある。これは僕のコロナ禍での妄想だろうか?

 コロナ禍でトレードオフが問題になっている。
 行為の運動学習におけるトレードオフ問題を提起した。

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