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カルロ=ペルフェッティ先生が「恋する塵」になった。
この言葉は、先生の写真集『身体、物語、人生:サントルソ認知神経リハビリテーション・センターの臨床、教育、研究 (Perfetti C, Chiappin S, 2007)』の冒頭に記されている。
君はニューロンの塊にすぎないのだ (F. Crick)
しかし現在を生き、過去を記憶し、未来を予測することができる (私たち)
塵となるだろう、しかし恋する塵に
(F. De Quevedo)
この言葉の意味は『恋する塵:リハビリテーション未来圏,宮本省三、協同医書出版,2014』の最後のエッセイに記している。
ペルフェッティ先生に、フランシスコ・デ・ケベードの詩を捧ぐ。
『死の彼方の変わることなき愛』
闇が最後に私の目を閉ざし
明るい昼を奪うだろう
私の魂は解き放たれ
満たされぬ熱情も和らぐだろう
だがかつて燃えあがったこちらの岸に
記憶を捨ててはいかないだろう
私の炎は厳しい掟など顧みず
冷たい水を泳ぐことができるのだから
ある神の全てに囚われていた魂
かくも激しい火に体液を送った血管
栄光に輝いて燃えあがった骨髄
肉体を捨てても思いを捨てはしないだろう
灰になっても感覚を持つだろう
塵になるが恋する塵になるだろう
2020年12月28日、入院中の先生に新しい本(サントルソでの日本人セラピストに対する講義録)の編集についてメールした。29日、奥さんから「主人は自分の研究が広がることに満足している。よい仕事を」と返事がきた。そして、30日、先生は「恋する塵」になって天国へ旅立った。
その日、親友のローマのヴァレリオから「僕らのすべての行為にはペルフェッティの命が宿っている」とメールが届いた。彼の強い意志に励まされ、思わず泣いてしまった。このパッションを先生の笑顔の写真と共に、日本認知神経リハビリテーション学会の全会員に伝えたい。
Prof. Carlo Perfetti(1940-2021)
2021年になった。僕はまだ発する言葉を見つけていない。ただ、ペルフェッティ先生が「自分の人生と仕事を一篇の詩の言葉に託していた」ことは記しておきたい。いつも、こうして「認知を生きる」ことの意味を教えてくれる人だった。最後のPolvo serán, mas polvo enamoradoは「塵となるだろう、しかし恋する塵に」(小池美納・訳)の方がいい。
いつか、僕も「恋する塵」になるだろう。
いつか、あなたも「恋する塵」になるだろう。
さよなら、ペルフェッティ先生・・・
La vita è bella・・・
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