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メッセージNo.110 リハビリテーションは驚きから始まる

驚きを持つことができないのなら、新しいことは何一つ考案できない.
-Perfetti

■”驚き”についての格言

 古代ギリシャのアリストテレス(Aristoteles,AC384-322)は「哲学は驚きから始まる」と言った。一方、ペルフェッティ(Perfetti,1940-2020)は「リハビリテーションは驚きから始まる」と言っている。これはセラピストがより優れたセラピストへと成長してゆくための「格言」である。ペルフェッティは”驚き”について次のように述べている。

 驚きとは何でしょうか?
予測していなかったことが起きた時、あるいは何かが予測しないかたちで起きるたびに私たちは驚きます。驚きとは、目の前で起きている現象に疑問を感じることです。驚きとは、達成されたことに満足するのではなく、「これ以上の成果をどうして得られなかったのか?」と自問することです。自分が優秀なリハビリテーション専門家かどうかを判断するために、次の質問を自分に向けて下さい。

  • 訓練室で仕事をしている時に、どれだけ自分は驚きを見つけられるか?
  • 訓練がうまくいかなかった時に、驚きを持ち続けることができているか?
  • 訓練がうまくいかなかった時に、それを事実として受け入れてしまうのではなく、自分の責任を認め、どこが間違ったのかを探り、新しい仮説を立てているか?

 もし、驚きを持つことができないのなら、新しいことは何一つ考案できません。新しい知識を得るためにはいつも誰か(カバットやボバースやペルフェッティ)に頼ることになってしまいます。それではいけないのです。

 “驚き”とはセラピストである「私」の思考に「問い」を発することである。つまり、新しい知識は”驚き”から始まるということである。セラピストである「私」には「より効果的な訓練を創造する能力を生み出す責務がある」が、それは臨床の何に”驚く”かによって決まるのである。

■訓練の両義性

 身体は主体でも客体でもある。これをメルロ=ポンティは「身体の両義性」と呼んだ。一方、ペルフェッティは「訓練の両義性」を考えている。それは訓練が患者のためでもセラピストのためでもあるという意味だ。ここでは「訓練」について考えてみよう。それによって”驚き”が生まれるかも知れない。ペルフェッティは訓練について次のように述べている。

 『訓練は、回復のための手段であると同時に、自らの仮説を検証する手段でもある』

 言うまでもなく、セラピストの訓練は「患者の回復のための手段」である。しかし、訓練は「自らの仮説を検証する手段である」とも言っている。セラピストは、この「訓練の両義性」に”驚く”べきではないだろうか。
 セラピストの目の前には患者たちがいる。セラピストは自ら受けて来た教育、臨床経験、専門書籍や学術論文などの知識から、たとえば片麻痺患者の病態を把握する。それによってさまざまな問題を発見する。そして、それらの問題を少しでも解決するために「訓練」が行われる。その訓練は確かに「患者の回復のための手段」である。
 しかし、セラピストの思考は誤っている可能性がある。思考は正しくても訓練が誤っている可能性がある。常に自らの知識や技術が誤る可能性を自覚していなければならない。同じ片麻痺患者でも問題は一人一人違う。確実に回復へと導く訓練を選択することは難しい。訓練が患者を本当に回復させるかどうかは、実際に行ってみないとわからない。問題を解決するための訓練は、セラピストが選択した時点ではまだ「仮説」に留まっているのである。
 したがって、セラピストは日々の臨床の中で自らの思考が生み出した仮説を検証する必要がある。そのためには訓練が患者にどのような変化をもたらしたのかを問う必要がある。これをペルフェッティは「訓練は自らの仮説を検証する手段である」と言っている。そうでなければ訓練は経験主義的なものであり続けるだろう。つまり、リハビリテーション治療はバラバラな訓練の寄せ集めであってはならない。

■科学的な理論は反証可能性を有していなければならない

 これはペルフェッティが好んだ科学哲学者カール・ポパー(Popper)の言葉である。リハビリテーションが科学的であるためには理論が必要であり、その理論を肯定する知見よりも反証する知見を重視しなければならない。そのためにもセラピストは自らの訓練の出発点に「理論」を置くべきである。訓練を理論の産物と捉え、理論に基づいた訓練を臨床展開すべきである。
 理論に基づく訓練は、ある視点から問題を捉え、その解決のための「仮説」を立案し、「訓練」を実施し、その効果の「検証」を行うことで、自らの思考のあり方を評価し、新たな思考をつくるという「思考循環(理論―仮説―訓練―検証)」でなければならない。セラピストは臨床の中でこの思考を何度も何度も循環させなければならない。
 これまでのリハビリテーションの歴史においてはさまざまな訓練が提唱されて来た。それらはすべてある理論に基づいた訓練である。だが、現状ではどのような理論を採用しても、すべての患者の機能障害を完全に回復させることは出来ない。たとえば、片麻痺の機能回復を完全に実現する理論―治療モデルは完成されていない。
 しかしながら、ある理論の正しさは訓練後の結果を確認することによってある程度は検証することができる。複数の理論に沿った訓練をいくら行っても、それが正しかったかどうかはわからない。それでは訓練は科学的な治療とはなり得ない。
 したがって、セラピストが選択した理論に準拠した一貫性のある訓練を患者に実施することが、科学的な訓練へと向かう唯一の道であろう。ある理論から導かれる訓練の仮説によって機能回復が得られなければ、その理論―治療モデルの誤りが発見できる。
 ポパーは「科学的な理論は常に暫定的なものである」と述べている。これは「反証可能性」を有していることが科学的な理論の条件だということを意味している。この反証可能性を有することによって理論は修正され、より適切な理論―治療モデルへと変化することができる。つまり、「理論は訓練によって反証されるべき」なのである。ペルフェッティはポパー流の「反証主義」をリハビリテーションの世界に持ち込もうと提言しているのである。
 理論や訓練が絶対的であると考えるのは思想であって科学ではない。科学的な理論は反証されることによって進歩する。それによって古い理論が新しい理論へと変わることで古い治療が新しい治療へと変わるのが「科学の進歩」である。

■贋作者的な態度を持つ

 経験主義的なリハビリテーション治療を、科学的な理論に基づくリハビリテーション治療へと進歩させるために、セラピストは何を思考し、どのようにして臨床を展開し、患者を回復へと導けばよいのだろうか。
 この最大の難問について、ペルフェッティは「セラピストは贋作者的な態度を持つ必要がある」と述べている。贋作を描く画家は、模写している絵の中に本物の絵とは異なる所を発見しようとする。自らの作品の誤りに気づこうとすることが贋作者的な態度である。
 つまり、セラピストは訓練による効果が認められた点のみに注目するのでなく、効果が不十分な点や誤っている点により注目すべきなのである。その不十分さや誤りは理論(仮説)の正しさを反証する。患者の機能回復が上手く行かなかった原因を探り、仮説の問題点を修正することによって、より患者の機能回復を図る可能性に満ちた仮説を再構築してゆくことが、経験主義的な訓練を科学的な訓練へと導いてゆく。

■「知の技法」としての”驚くという才能

 これは決して机上の空論ではない。セラピストが日々の臨床での訓練を質的に高めてゆくための「知の技法」である。セラピストは、訓練が「自らの仮説を検証する手段である」ことに”驚く”必要がある。それが優れたセラピストに成長するための条件である。
 今日、君は臨床で驚いただろうか。臨床は驚きに満ちているはずだ。学校で習った訓練や先輩の真似をして学んだ訓練では、患者は回復しないことが多い。君はそのことに驚いているだろうか。それは臨床に慣れてしまっているということだ。そんな時は新しい訓練を試みるべきだ。そんな個人的な知の冒険を「知の技法」という。驚きはいつも個人の脳の中で生まれる。セラピストにとって最も重要なのは訓練を考える才能だ。その才能は驚きなしでは生まれない。

触覚の訓練

 たとえば、君は片麻痺の手に触覚の訓練を行っているだろう。しかし、次の写真のような触覚の訓練を見てどう感じるだろうか。この新しい訓練に驚くためには、触覚素材が机上の平面ではなく円錐の曲面に貼りつけられている理由を考えなければならない。患者の「視覚の外(角の向こう側)」に表面素材が貼られていることに気づかなければならない。手の情報メカニズムにおける「物体を包み込むような探索ストラテジー」の意味を考えなければならない。どのように手指を動かすかを考えなければならない。また、日常生活で手が物体を包み込む行為を具体的に考えていなければならない。さらには、物体操作時の行為との関連性や比較も考えなければならない。つまり、訓練に驚くのは簡単ではないということだ。

 リハビリテーションは驚きから始まる。”驚くという才能”をもつセラピストだけが創造力を育み、”患者の驚くほどの回復”を実現するだろう。

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