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メッセージNo.119 受肉した手

 作家の石牟礼道子が書いた「母の手」というタイトルのエッセイがある。

 鼠色の古い腰紐を大切にしている。亡き母が使いこんで、繊維が細くなった部分は色が褪せ、縫い目の糸だけが丈夫に見える。折々とり出して掌に乗せ、洗おうかなと思うが洗わない。母の掌の匂いが失せてしまいそうで。
 わたしの死後はただの襤褸になって捨てられかねない。「宝物」と張り紙して桐の箱に納めておこうかと思う。「手の物語」をつけて。
 火傷の跡のある手で縫ったのだ。モンペ紐を外して継ぎ合わせて。左の紅さし指と薬指の根元がくっつきかかっていた。赤んぼの時、囲炉裏にやり込んで母親に抱き上げられたそうだ。母親は間もなく気が狂った。この幼女はだから十時分から、「自分の方が、親のつもりにならなければ」と心がけていたそうだ。
 よくもまあ首もくくらず生きていてくれてと、わたしは亡骸になった母の火傷の手を、長い間撫でていた。

(腰紐➡着物の帯/襤褸(らんる)➡使い古してボロボロになった布/やり込んで➡飛び込んで/十時分から➡10歳の頃から)

 このエッセイには石牟礼道子の「手の物語」が綴られている。亡くなった母親の手を、娘の手が撫でている。子どもの手が母親の手を撫でている。死体となった母の火傷の手を、かつて赤んぼであり幼女であった「わたし」が長い間撫でている。
 この時、撫でている手は何を感じているのだろうか。「わたしの手」は母の記憶を感じている。撫でている手は他者の人生に触れている。同時に撫でている手は自己の人生にも触れている。人間の手は人生に触れることができる。
 それを科学は「触覚」と呼び、文学は「物語」と呼び、哲学は「受肉(メルロ=ポンティ)」と呼んでいる。一体、リハビリテーションでは何と呼ぶのだろうか。ペルフェッティは「手は精神である」と言っている。

 「受肉した手」とは、そんな「手」のことだ。人間だけがもつ「手」のことだ。私が世界に意味を与えている、この「手」のことだ。

手

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