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図1 Hermann Munk,1839-1912
それは「ムンクの閃き(アイデア)」に始まる。1890年にドイツ人医師のヘルマン・ムンク(Hermann
Munk,1839-1912)はイヌの頭頂葉の切除実験を行った(図1)。そして、「ソマトプシケは頭頂葉に宿る」と考えた。
「Somatopsyche (anima
corpora)」の「soma」とは肉体(corpo)、あるいは身体のことである。「psyche」とは魂(anima)、あるいは心理、精神のことである。
つまり、ソマトプシケは「肉体の魂(身体の精神性)」である。それは「脳のなかの身体(body in the brain)」を意味する。
ムンクは頭頂葉について「皮膚上の感覚入力が持続的に変化しているにもかかわらず、以前の多感覚イメージによって、空間における身体の安定したイメージを維持することができる」と主張した。歴史的にも、科学的にも、身体の姿勢をイメージする場所が頭頂葉だと特定した功績は大きい。彼はイヌの大脳皮質切除実験の知見から、頭頂葉について次のように述べている。
19世紀末、ムンクの頭頂葉の研究によってソマトプシケは霊的なニュアンスではなく科学の対象になった。当時の神経科医たちは「大脳皮質の機能局在➡局在部の損傷➡病態出現」という神経症候学を確立しようとしていた。大脳皮質損傷の診断学は神経科医たちを魅了していた。
ムンクは頭頂葉の損傷が原因で、ソマトプシケの変容が結果だと考えた。つまり、ソマトプシケは頭頂葉に機能局在があり、その部位が損傷されるとソマトプシケの変容(姿勢のイメージの変容)が出現するとした。また、体性感覚障害とソマトプシケの障害を区別した。
この「ムンクの閃き(アイデア)」は彼がイヌの後頭葉切除によって「皮質盲」を発見していたからであろう。皮質盲は視覚障害とは区別される「病態失認」の一種で高次脳機能障害を意味する。ただし、ムンクは体性感覚障害(低次)とソマトプシケの障害(高次)を区別したが、ソマトプシケの障害を「身体失認」とは呼んでいない。この時点で身体失認の症例は報告されていなかったからだと思われる。おそらく、ソマトプシケは感覚、知覚、認知の階層性に区分すると「知覚レベル」に相当する。それは体性感覚連合野(上頭頂小葉のarea5、7・体性感覚と視覚の空間認知・どこの空間)の感覚統合機能を推察させる。また、ソマトプシケは後世のHeadによる「身体スキーマ」の概念に近い。それは過去(オフライン身体表象)と現在(オンライン身体表象)の「比較装置」だからだ。
図2 イヌの頭頂葉の身体知覚野
(Munk,1892)
Rosenbergによれば、ムンクは1890年の時点ですでに、こうした比較の基準となるソマトプシケの機能の問題に取り組んでいた。彼は、身体感覚は経験を通じて頭頂葉の体性感覚皮質の「身体知覚野(Fühlsphären)」に記憶されると仮定した(図2)。また、Paulusによれば、「そこに新たな印象が入力された場合、これらの記憶は視覚的なものだけでなく、イメージとして再活性化され、比較に利用できるようになる」と考えた。
その後、1903年にフェルスター(Foerster)が知能に問題はなく妄想もないにもかかわらず、ソマトプシケの異常を来した患者を報告する。この症例報告には患者の言語記述が次のように記されている。
"自分の手足の感覚がない。頭部の感覚もない。自分がどうなっているのかを知るために、絶え間なく自分を触らなければならない・・・“
この患者に視覚障害、運動麻痺、体性感覚障害は出現していない。手で身体に触れると身体は感じられる。しかし、患者は「自分の手足の感覚がない」と言う。ソマトプシケが失われると、身体に触れなければ自分を知ることができなくなる。患者には自己の身体の自明性の変容が発生している。
1906年にはピック(Pick)が「身体部位失認」を「身体の空間表象障害」と定義した。これは体性感覚麻痺がないにもかかわらず、目を閉じて触れられた手指がどの指かわからない現象である。
1914年にはバビンスキー(Babinski)が左片麻痺の存在を否認したり無関心であったりする症状を「病態失認(anosognosia)」と名づけて報告する。患者は自分の麻痺した上肢を見ても、運動麻痺を否認し、「自分の身体ではない」と言った。
一方、1906年に感覚性失語で有名なウェルニッケ(Wernicke)がソマトプシケの異常を精神病だと主張した。彼は「アソシエーション主義者」であると言われている。脳を連想器官と見なす立場である。そのため意識も連想活動の産物だと解釈する。その上でソマトプシケも連想の一つだとし、意識の3つの区分に含めた。
「外界の意識」は外部世界の物体や他者や出来事の意識である。「自己の身体の意識」はソマトプシケに相当する。「自己の個性の意識」は内面的かつ心理的な思考、性格、感情などについての意識を指している。つまり、「外界の意識」に対して内界の意識には「自己の身体の意識」と「自己の個性の意識」の2つがあるとした。
また、この意識の区分に対応した精神病の分類も提唱している。
精神病では自己の身体の意識の誤作動によって「精神運動(psychomotor)」の異常を引き起こすとした。「運動不能(akinesia)」、「過剰運動(hyperkinesia)」、「低運動(parakinesia)」などが発生する。
ウェルニッケによってソマトプシケの異常は精神病の症状の一つとされた。それは「自己の身体表象」の見当識障害として出現する。見当識とは時間、場所、人物、状況などを正しく認識する能力のことだが、ここでの見当識障害は身体の空間的な位置のイメージの異常を意味する。
特に、「自己の身体の意識(somatopsyche)」について、ウェルニッケは「身体の各部位から送られてくる感覚信号はそれぞれ質的に異なるが、これらの質を区別できる大脳皮質はすべての感覚信号を統合することで、空間の中に身体の各部位の安定したイメージを構築することができる」と述べている。つまり、「質の異なる体性感覚信号が統合されることで、ソマトプシケと呼ばれる身体全体の巨大なイメージが構築される」と考えた。これはソマトプシケが皮膚、関節、筋肉などに由来する複数の感覚信号の統合によって生じるボトムアップ現象として理解されていたことを示唆している。
こうしてソマトプシケは、20世紀の精神病学と神経病学に大きな影響を与えてゆくことになる。精神病学では統合失調症や離人症などにおける「身体意識」の異常な病態が分析されてゆく。神経病学では頭頂葉の「身体スキーマ(body schema,身体図式)」や「身体イメージ(body image,身体像)」の概念へと継承され、神経心理学や高次脳機能障害学へと発展してゆく。
一体、ソマトプシケとは何か。ムンクは「頭頂葉には体性感覚を以前の体性感覚のイメージと比較する機能がある」と言っている。したがって、この経験と学習によって長期記憶されている「以前の体性感覚のイメージ」がソマトプシケである。それが頭頂葉に宿るからこそ、現在の体性感覚を知覚することができる。
だが、「以前の体性感覚のイメージ」は本当に頭頂葉に宿っているのだろうか。行為の記憶、その体性感覚の記憶は、エピソード記憶に貼りついて「海馬」に宿っているようにも思える。なぜなら、体性感覚の記憶には個人的な情動や感情や意味が沈殿しているからである。
また、神経因性疼痛患者の身体感覚で明らかなように、体性感覚の知覚は感情を変え、感情は知覚を変える。その知覚と感情の相互交流はソマトプシケを改変する。さらに、統合失調症の場合、「運動の予測と結果の不一致」によって自己の身体の「自明性」が変容する。そうした苦悩する患者たちの意識経験の一人称言語記述を読めば明らかなように、ソマトプシケは「経験の言語」とも深くつながっている。そして、近年の脳科学はソマトプシケが視床、島皮質、前障(claustrum)、海馬などを介して大脳皮質の多領域に攪拌する神経ネットワークの相互交流によって変化することを明らかにしている。だから、「まだ、ソマトプシケが宿る場所はわかっていない」と呟いておこう。
ムンクは「脳のなかの身体」の科学の先駆者である。
現在、ソマトプシケは「エンボディメント(身体性)」と呼ばれている。
文献
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