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メッセージNo.121 人は自分の狂気と共存できる

−バザーリア改革に参加したペルフェッティはリハビリテーション改革を夢見た

 病院の精神科病棟が世界で一番多い国は「日本」である。現在でも統合失調症(かつて精神分裂病と呼ばれていた)など多くの精神疾患を有する人々が長期入院している。それは「家族(親族)」、「友人(知人)」、「社会(世界)」からの「隔離(断絶)」を意味している。一方、ヨーロッパでは精神病院が少ない。そして、信じられないかもしれないが、現在のイタリアには精神病院がない。
 統合失調症は100人に1人の発症率である。その長い歴史の中で統合失調症は「狂気」と扱われてきた。19世紀末、パリのサルペトリエーヌ病院は統合失調症やヒステリー患者の収容施設であった。そうした精神科病棟がヨーロッパ各地にあった。20世紀前半のナチの強制収容所にはユダヤ人だけでなく多くの精神病患者、知能障害者、身体障害者も含まれていた。また、20世紀中頃になってもローマには「マニュコミオ」と呼ばれる数千人を収容する巨大な精神病院があった。
 しかし、こうした歴史と状況に反旗を翻す人々がいた。1960年代から1970年代にかけて、もっと人間の尊厳に配慮した医療を求める声がヨーロッパ各地で起こった。その運動には医療関係者も含まれていた。彼らは「人間を病院に閉じ込める医療では人権が保障されない」と主張した。精神医療を「脱病院化」し、「隔離」から「地域ケア」へ変革しようとする大きな潮流が生まれた。

イタリア精神神経科医のフランコ・バザーリア
Franco Basaglia,1924-1980

 特に、イタリアでは精神神経科医のフランコ・バザーリア(Franco Basaglia,1924-1980)が、北イタリアの地にあるトリエステの精神病院の廃止に着手した。彼は「右手で精神病院を解体し、左手で地域ケアをつくる」と主張した。これは「バザーリア改革」と呼ばれた。
 ただし、それは簡単なことではなかった。たとえば、1975年には繰り返し息子の退院を求めていた家族に彼を託した結果、息子が両親を殺害し、その責任をバザーリア、主治医、ムッシャ精神衛生センターの医師が問われた裁判が起こっている。バザーリア、主治医は無罪となるも、精神衛生センターでの治療に落ち度があったとしてセンターの医師には執行猶予付き有罪判決が下った(from Wikipedia,Franco Basaglia)。
 しかし、結果的に多くの市民が「バザーリア改革」に賛同し、1978年にイタリア政府はすべての精神科病棟の廃絶を法的に決定した(バザーリア法の制定)。

 その人間観は「人は自由に生きる権利を有している」、「人は自分の狂気と共存できる」、「人は人生の主人公として生きることができる」というものであった。
 精神疾患の治療については、「統合失調症は家族、友人、地域社会といった生活環境によって悪化もすれば、改善もしてゆく。それは、脳機能への生物学的な治療だけでは解決できるものではなく、疾患の根本にある”人間的な苦悩”に対する人間的なかかわりや、社会的にその個人の存在が承認されることによって、改善されてゆく」と主張した。
 また、医療者が患者と対話し、その「人間的な苦悩」を一人称言語記述で聴き、その意味を理解し、互いに信頼し合う関係をつくることの重要性が強調された。

 だが、こうしたバザーリア改革は「反精神医学的な思想」と呼ばれた。そこには哲学者フッサールの「現象学」とサルトルの「実存主義」の影響があった。それは当時のベトナム反戦運動や左派の反体制運動と連動していた。

 リハビリテーション医療に携わるセラピストは、バザーリアの「人は自分の狂気と共存できる」という思想が、リハビリテーション医療の思想とも共鳴していることを知っておく必要がある。たとえば、数十年前まで、日本では脳性麻痺児、脊髄損傷患者、脳卒中後の片麻痺患者は長期入院していた。何年も長期入院することができた。その間、リハビリテーション治療を受けることができた。ところが、現在では片麻痺の場合は回復期病棟への入院は発症後6ケ月までが限度とされている。それ以後の外来リハビリも制限される。これは「人は自分の狂気と共存できる」を「人は自分の運動障害と共存できる」と読み替えたものであろう。
 「隔離」から「地域ケア」の流れは日本にも波及している。介護保険や地域(デイケア、訪問)リハビリテーションは市民の社会生活に浸透している。実は、バザーリアの「人は自分の狂気と共存できる」は、正確には「医療者の適切な地域ケアによって、人は自分の狂気と共存できる」である。

 ここで強調しておきたいのは、バザーリア改革と認知神経リハビリテーションの関係性である。バザーリア改革は「反精神医学的な思想」と呼ばれたが、実は、その運動にピサの若き精神神経科医のカルロ・ペルフェッティ(Carlo Perfetti,1940-2020)も参加していた。
 その後、ペルフェッティは同じイタリアで「大脳皮質促通法(現在の認知神経リハビリテーション)を発表する。当時、それは「反リハビリテーション医療的な思想」と呼ばれた。なぜなら、リハビリテーション医療における「古典的(人間機械論的)なリハビリテーション治療(運動療法)」への強い批判が含まれていたからである。また、フッサールの現象学やサルトル実存主義の思想も含まれていた。
 さらに、ペルフェッティは病院や地域(外来)での長期の片麻痺のリハビリテーション治療の継続を主張した。「医療者の適切な地域ケアによって、人は自分の運動障害と共存できる」が、それだけでは不十分である。片麻痺の「病的状態からの学習(回復)」のためにはセラピストによる長期のリハビリテーション治療の継続が必要である。それは「自由を求める人間の権利」であると考えたからである。
 この点はバザーリアが精神疾患の病院での入院治療を否定したのとは違う。ペルフェッティは患者が病院の急性期、回復期、在宅で十分なリハビリテーション治療を受ける自由の権利を主張した。なぜなら、「脳のリハビリテーションには長い時間が必要だから」である。個人の自由とは、早期に退院する自由、長期にリハビリテーション治療を受ける自由のどちらも保証することである。

 バザーリアの「反精神医学的な思想」による精神医療の改革とペルフェッティの「反リハビリテーション医療的な思想」によるリハビリテーション治療の改革が、ほぼ同時期に誕生したのは偶然ではない。バザーリアは「自由こそ治療だ」と言った。これは隔離ではなく、共存するという意味である。ペルフェッティは「運動することで回復するのではなく、思考することで回復する」と言った。これは運動の否定ではなく、運動を思考することがより重要だという意味である。

 「バザーリア改革」に参加した若きペルフェッティは「リハビリテーション改革」を夢見たのである。

文献

  1. 1)吉池毅志:人権の潮流:精神科病院がなくなったイタリアから、何を学べるか.国際人権ひろば,No.109,2013.
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