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メッセージNo.130 経験の叫び −ぎりぎりのところで踏んばって生きる

 最近、新聞で読んだ、MさんとSさんの「経験の叫び」を紹介する。


[シオミさん、神様仏様も、もうこれぐらいで、私たちを許してくれますよね]…(Mさん)

 半身の自由を失い病院でリハビリ中の俳優・塩見三省に、凄い量の訓練をこなした「戦友」Mさんは入院期限を迎えて去る日、痛切な思いをこう漏らした。
必死で立ち上がろうとする子にユーモアを込め「レディー・ガガ!」と声をかける母親もいた。「レディー・ゴウ!」の代わりに。誰もが退路を断たれてぎりぎりのところで踏んばっていた。…『歌うように伝えたい』から。

(2025年2月13日,折々のことば、鷲田精一,朝日新聞より)

[長いリハビリ支える先輩の言葉]…(Sさん、無職、78歳)

 脳卒中で倒れて27年が経つ。左半身にまひが残り、後遺症と闘っている。新聞配達と夜間通学で培った忍耐力が長い戦いの支えだ。
 父が重病で働けなくなり中学卒業まで約5年間、山里で新聞配達を続けた。小遣いぐらいは自分で稼ぐと思ったからだ。高校は兄の援助で行き、就職したのは40キロ離れた広島市の郵便局。往復3時間近い通勤のかたわら夜学の短大に通った。卒業のときは、達成感に満たされた。
 その後、当時所属していた社会人の読書サークルの尊敬する先輩が私の生き様を、こうたたえてくれた。「人間に忍耐力をつけるのは、新聞配達と夜学だ」
 日々、歩行訓練などを続けている。もう人生の3分の1ほどの歳月、根気強く機能回復の訓練に励んでいる。大きな改善は難しいかも知れないが、先輩の温かい言葉と若いころの自分を思い出して、杖歩きなどに取り組む毎日だ。

(2025年、3月9日,朝日新聞、オピニオン&フォーラム・声より)


 Mさんは入院中のリハビリテーションについて、Sさんは退院後のリハビリテーションについて語っている。どちらも「経験の言語」というより、「経験の叫び」である。
 Mさんは、子ども(おそらく片麻痺を発症している)が立ちあがる時、「レディー・ガガ!」と声をかける母親がいると記している。これは、その一瞬に最大の筋力を発揮して立ち上がれと励ます声だ。一体、誰がそんな椅子からの立ち上がりの指導の仕方を母親に教えたのか。毎日、Mさんも、同じように百回も二百回も、立ち上がりを反復したのだろう。だから、子どもが戦友のように思えて仕方がないのだろう。
 Sさんは、忍耐強く、「もう人生の3分の1ほどの歳月、根気強く機能回復の訓練に励んでいる」が、「大きな改善は難しいかも知れない」と感じている。リハビリテーションにおける「機能回復の訓練」とは、それほど効果のないものなのか。一体、誰がそんな歩行訓練の重要性をSさんに教えたのか。
 このMさんとSさんの「経験の叫び」の背後には、リハビリテーションにおける「筋力増強主義」が潜んでいる。どうしてこんなにも、この「思想」は生き延びるのか。中枢性運動麻痺(片麻痺のような痙性麻痺)には、健側肢の筋力強化が有効なことはあるが、麻痺肢に筋力強化は必要ない。痙性や共同運動(シナジー)を増悪させる可能性が高いからだ。片麻痺の運動障害は筋力低下ではなく、運動スキル(巧緻性)の低下である。セラピストは「筋力増強主義」が「運動の量」を奨励するリハビリテーションを患者に教える危険性を知っておく必要がある。片麻痺の機能回復に必要なのは「運動の質」の回復を奨励するリハビリテーションである。

 セラピストは、立ち上がりや歩行を単に反復練習させるのではなく、どのように立ち上がり、どのように歩行するのかを教えるべきである。具体的には「自己の身体の空間性と動きを感じながら」、「意識の志向性を下肢の位置関係や足底に向けて、地面の属性(水平性、表面、硬さ、重さ、支持基底面、重心点、重心移動など)を知覚して、運動を修正すること」を教えなければならない。その意識の予測と結果の一致の確率が向上していくことで、片麻痺の回復(運動学習)がゆっくりと時間をかけて生じる。

 意識は随意運動を空間的、時間的、強度的にコントロールしている。行為は認知過程(知覚、注意、記憶、判断、言語、イメージ、比較)によってコントロールされている。世界最高のピアニストであるキース・ジャレットが片麻痺を発症した。彼の手指にいくら筋力強化を行っても、あの「ケルン・コンサート」のメロディが復活するわけではないのだ!

 MさんとSさんの「経験の叫び」を読み、自分の無力さに思わず涙がでた。それでもMさんもSさんも「ぎりぎりのところで踏んばって」いる。誰もが「ぎりぎりのところで踏んばって」生きているのだ。きっと、回復期、維持期(訪問)のセラピストが「ぎりぎりのところで踏んばって」くれると信じている。
 MさんとSさんから、リハビリテーションは一人一人の人生とともにあることを、改めて教えられた。だが、そのリハビリテーションに満足してはいけない。この心の痛みを共有するセラピストは、新たなリハビリテーションの時代をつくるべきである。

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