認知神経リハビリテーション学会

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メッセージNo.73 生活行為のリハビリテーションは誰の仕事なのか?

 近年、「生活行為」のリハビリテーションが重視されている。厚労省も回復期リハビリテーションや在宅医療での導入を促進しようとしているし、リハビリテーション医学会やセラピストの協会(理学療法士協会・作業療法士協会・言語聴覚療法士協会)も概ね賛成しているようだ。
生活行為は[1]セルフケア(身の回り動作)、[2]家事、[3]仕事、[4]余暇、[5]地域活動よりなる 生活行為は[1]セルフケア(身の回り動作)、[2]家事、[3]仕事、[4]余暇、[5]地域活動よりなる。生活行為は『日常生活動作(Activities of Daily Living=ADL)』としての食事、排泄、整容、移動、入浴などの基本的な行為と、『手段的日常生活動作(Instrumental Activity of Daily Living=IADL)』と呼ばれる買物、選択、掃除、外出、乗り物に乗る、金銭管理、趣味、地域活動への参加などADLよりも複雑で高次な活動を含めた概念である。いわば、生活行為とは、人間が日々を生きてゆくことのすべてを包括した概念であり、リハビリテーション医療においてはADLのみならずIADLを考慮する必要があるとされている。
 そして、今、この生活行為の自立を目指してリハビリテーションを行うことがセラピスト(PT・OT・ST)の仕事にされようとしている。つまり、「生活行為のリハビリテーションは誰の仕事なのか?」という問いには、「セラピストの仕事だ」という解答が事前に用意されている。疑問を呈する声が聞こえないことから、それはセラピストの協会にとっても、一人一人のセラピストにとっても、「当然」なことなのだろう。
 だが、障害者や高齢者の「生活行為の自立を目指す」ということと、「生活行為のリハビリテーションがセラピストの仕事だ」ということは違う。なぜなら、厚労省の強調する「生活行為のリハビリテーション」とは、「生活行為を直接的に練習する」というリハビリテーションの考え方に根ざしている。また、その考え方には、セラピストの仕事が「機能回復」ばかりに偏っており、もっと生活行為の練習に時間を使うべきだという主張が含まれている。
 つまり、ここには従来のセラピストのリハビリテーション治療への強い批判が込められている。その批判を直接セラピストに投げかけて論議するのではなく、その批判を「生活行為の自立を目指す」という「批判の難しいリハビリテーションの目的論」にすり替え、リハビリテーションの臨床そのものを自分たち(厚労省)の思考の支配下に置こうとしているようにも感じられる・・・。

・・・・・・・・・

 ここで一人のセラピストとして強く問題提起しておきたいのは、「生活行為のリハビリテーション」を臨床に導入しようとする厚労省は、「セラピストの仕事が何かを知らない」ということである。セラピストは、生活行為の回復を目指しているが、そのリハビリテーション治療は、彼らが考えているようなものではない。

 セラピストのリハビリテーション治療は単なる「生活行為の直接的な練習」ではないし、セラピストの仕事が「生活行為の直接的な練習」であってはならない。それでは「生活行為の自立」は達成できないことが多いのである。

 この個人的な主張を、をある脳損傷患者の症状を提示して、厚労省に再考してもらいたいと思う。有名な神経心理学者のルリアが観察したザシェツキーという患者の症状を、『Luria A(杉下守弘・訳) : 失われた世界:脳損傷者の手記.海鳴社,1980.』と『宮本省三:片麻痺:バビンスキーからペルフェッティへ(協同医書出版社,2014)』から引用する。

 私は、べットに横たわり、看護婦にめんどうをみてもらう必要があった。それでは、私 はどのようにして看護婦を呼べばよいのか? 突然、私は、手招きをするということを思い出し、看護婦に合図しようとした。私の左手を左右にかるくふってみたのだ。しかし、看護婦は通りすぎ、私の「手真似・身振り」にはまったく注意を払わなかった。それで私は、自分が人に合図をするやり方をまったく忘れていることにそのとき気づいたのだ。私のしてもらいたいことを他の人にわからせるために、手をどのように動かしたらよいのかもまったく忘れてしまっているらしかった。

 ルリアによれば、さらにザシェツキーは、彼自身が「空間的特殊性」と呼ぶ、しつこく続く障害からも逃れることができなかった。その障害を具体的に列挙すると、次のような症状であった。

  • 医者と握手しようとする時、どっちの手をのばしてよいのかわからない。
  • 椅子に座ろうとすると、自分が考えた位置より、ずっと左の方に坐ってしまう。
  • 食事の時、フォークは肉の脇を通りすぎてしまう。
  • スプーンは正しく動かず勝手に動き、傾いてスープがこぼれてしまう。
  • 何か書きたくなっても、鉛筆を自由に使えず、また握り方がわからない。
  • 針と糸を手にもたされても縫い物ができない。
  • カンナと板を手にしても使い方がわからない。
  • ハンマーと釘を手にしても、ハンマーの握り方、釘の打ち方、引き抜きがわからない。
  • 母に冷蔵庫からミルクを持ってくるように言われてもどう手を使うかわからない。
  • 斧を持ち上げて振りおろして切り株を上手く割れない。
  • 窓ガラスの取り換えができない。
  • ボールを投げても的に当てられない。
  • 音楽に合わせて体操ができない。
  • 浴室から出た後、自分の部屋にもどる時に迷う。
  • 「右、左、後、前、上、下」といった言葉の意味が理解できない。
  • 「南、北、東、西」という言葉の二つ関係に困惑する。

 ザシェツキーは日常生活のさまざまな場面で、こうした障害と直面して苦しんだ。それ  は改善せず何年も続いたままである。ルリアは、「最も単純で、ごくありふれた事柄が、 痛ましいほど彼にとっては困難になった」と述べている。空間そのものが、あるいは細分 化された物体の存在そのものが、すべて彼の苦しみの対象であると言えるかも知れない。

 そして、ルリアは彼の症状を次のように要約している。

 彼の脳に貫入した小銃弾の破片は、彼の世界を細かく粉砕してしまった。空間というものがそれでこわされてしまい、またすべての物が破壊された。何千もの別々の部分にこなごなにこわれた世界に彼はいまや住んでいる。彼は「空間をまったく理解できない」という。そして彼はそのことに不安を感じ、「明確な世界」を失ったのである。

 ザシェツキーは自己の症状を次のように要約している。

 負傷してからというもの、私は空間というものの本質を思い浮かべることができず、また空間そのものが理解できず、それが怖かった。今でさえ、何かあるものがのっているテーブルの横に坐っているときには、なぜか手を伸ばしそれらに触ってみるのが怖い。

 臨床神経学や神経心理学の知識を有する者であれば「診断」は明らかだろう。ザジェツキーの奇妙な症状は左半球損傷によって生じている。左半球損傷による空間認知の異常は右半球損傷による半側空間無視などとは違う。その空間認知障害は日常の行為のエラーとして表出されている。つまり、彼は1900年にリープマンが発見した「失行症(apraxia)」である。

・・・・・・・・・

 そして、この症例の失行症を治療せずに、「生活行為」を改善することは困難である。

 脳卒中患者には片麻痺と失行症を合併している者が多い。そうした患者たちを片麻痺患者や高齢者と一括して、「生活行為の直接的な練習」が行われることを強く危惧する。患者の神経症状は多岐にわたる。それらを無視して「生活行為の直接的な練習」が行われることを強く危惧する。

 セラピスト(PT・OT・ST)は、片麻痺の、失行症の、最大限の回復をリハビリテーション治療によって図るべきである。もし、それらを一括し、無視して、「生活行為のリハビリテーション」を行うのであれば、それはセラピストの仕事ではない!!!

  1. 1) 1) Luria A(杉下守弘・訳) : 失われた世界:脳損傷者の手記.海鳴社,1980.
    2) 宮本省三:片麻痺; バビンスキーからペルフェッティへ. 協同医書出版社,2014.
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