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メッセージNo.76 比較する脳

 脳卒中後の失行症患者(apraxia)や発達障害児(特にdyspraxiaと呼ばれる運動統合障害児)は他者の身体の動きの模倣(形態模倣・意図模倣)が困難である。また、写真で提示した身体各部の位置関係の模倣にも失敗することが多い。これは頭頂葉(下頭頂小葉の角回)における視覚情報と体性感覚情報の不一致(異種感覚情報の照合のエラー)だと考えられてきた。

 最近、身体の視覚情報に特異的に反応する脳領域が同定された。その脳領域は下頭頂葉小葉に隣接する後頭葉(視覚野)の「有線外皮質身体領域(extrastriate body area:EBA)」である。EBAは身体の視覚情報に特異的に反応する。つまり、自己の身体の部位、他者の身体の部位、自己や他者の身体の部位の写真や運動を見た時に活動する。但し、顔の視覚情報には反応しない1)。

 Okamotoらは、EBAが自分の身体の動きを他者に真似されている時に活動することを手指のジェスチャー課題を使ったfMRI研究で明らかにしている。一方、自閉症では自己の身体の動きを真似された時にはEBAが活動しないという2)。

 興味深いのは、EBAが自己の運動の「遠心性コピー(efference copy)」を受け取る領域だと考えられ始めている点である。自己の行為の遂行や同じタイプの行為の観察はEBAでエンコード(情報を一定の規則に従って情報に置き換える)されている。それゆえ、他者の身体各部の視覚入力と自己の行為の遠心性コピーは、EBAでお互いに対話しており、そこでは他者の行為の視覚的な観察との一致と不一致が検出されている。また、自己の運動と視覚情報の一致や不一致が検出されている。EBAは自己の行為と他者の行為の「比較器(comparator)」として活動しているということである2)。

 遠心性コピーとは「随伴発射(Corollary Discharge)」のことである。随意運動において運動野から運動指令(motor command)は脊髄に下行して筋を収縮させる。しかし、同時に、予測的な「運動によってどのような知覚が得られるか?」という遠心性コピーが頭頂葉(小脳?)に至り、実際の運動後の感覚フィードバックと「比較照合」される。つまり、遠心性コピーは脳内に予期と結果を比較する機能を想定しており、その機能をアノーキンは「行為受容器(action acceptor)」、ベルンシュタインは脳の「比較器(comparator)」と呼んだ。また、「身体所有感」や「運動主体感」も遠心性コピーと「比較器」の神経回路モデルで説明されることが多い。

図1 運動の「遠心性コピー(efference copy)と随伴発射(Corollary Discharge)
図1 運動の「遠心性コピー(efference copy)と随伴発射(Corollary Discharge)

 問題は、この「運動によってどのような知覚が得られるか?」という予測的な遠心性コピー(随伴発射)がどこの脳領域に行くのかという謎であった。おそらく頭頂葉か小脳が比較器だろうと考えられて来たのは、運動によって得られる知覚を体性感覚な運動イメージと想定したからである。しかしながら、行為には視覚的な結果の確認が重要であり、その比較器はEBA(後頭葉)だということになる。そこでは自己の行為のみならず他者の行為も比較されていることが判明した。しかし、行為には言語(聴覚)や記憶との比較も重要であり、側頭葉も関与している可能性もある。つまり、遠心性コピーを受け取る比較器は頭頂葉、後頭葉、側頭葉、情動領域など脳内に分散している可能性がある。遠心性コピーと比較器は一つではなく多分散なのではないだろうか。そして、どの比較器を使うかは前頭葉の「行為の意図(intention)」によって優先度が異なるのであろう。

 さらに、人間は「自己」を比較する。自己は自己意識に支配されている。自己意識には「公的自己意識(public self-consciousness)」と「私的自己意識(private self-consciousness)」がある1)。

 公的自己意識は「他者が観察できる自己(私)」に注意を向けることによって形成される意識である。自己の外見、容姿、行動、他者への言動などを他者がどう見ているか、感じるかという社会脳の発達であり、社会的な自己評価に関与する。一方、私的自己意識は「他者から直接観察できない自己(私)」に注意を向けることによって形成される意識である。自己の信念、思考、感性、気分、プライド、羞恥心、罪悪感など内面的なもので、個人的な自己評価に関与する1)。

 子どもの場合、私的自己意識から公的自己意識へと発達するのであろう。その発達が「心の理論(マインド・リーディング)」や「共感」の獲得へとつながってゆく。大人はどうだろうか。両方が混在し、時と場合によって使い分けている。しかしながら、その使い分けは「自己や他者の行為や経験の記憶」と「比較」した結果である。

 失行症患者や発達障害児の模倣のエラー、EBA、遠心性コピー、公的・私的自己意識などの知見は、すべて「比較する脳」に関連している。だから、脳は「比較器」である。脳は比較によって「情報の規範(意味)」をつくっている。その比較によってつくられた情報によって行為を遂行する。そして、公的自己意識や私的自己意識に複数の意味を与える。

 「比較する脳」を運動麻痺、感覚麻痺、高次脳機能障害、発達障害などのリハビリテーション治療における基本戦略とすべきだろう。比較なくして神経の可塑性も行為の回復も生じない。また、セラピストは、臨床で回復が上手くいかない場合、患者の脳に「新しい比較」を求める必要がある。

 つまり、「比較する脳」の発達させるための基本戦略は2つある。一つは比較の精度を向上させる戦略である。これには体性感覚、視覚、言語の同種・異種感覚情報の比較が有効であろう。もう一つは新たな比較を発見することである。これは比較のための新しい概念を持ち込むことである。比較に「脳のアナロジー(analogy)」を導入することである。

 アナロジーは人間に特有な「高次脳機能」であり、一般的には「類比」、哲学では「アブダクション(パース)」ともいう。定義的には「特定の事物に基づく既知の情報を、他の特定の事物へ、それらの間の何らかの類似に基づいて適用する認知過程」である。別に、難しいことではない。たとえば、何かと何かを何かによって関連づければよいだけである。図2を見てみよう。そして、上の3つと下の3つの類似に3本の線を引いて関連づけてみよう。その線を引いた理由が概念(家、果物、飛行の概念)であり、高次な脳のアナロジー能力である。

図2 上下の絵を線で結んでみよう
図2 上下の絵を線で結んでみよう

 さらに、その上で新しい概念を持ち込んでみよう。たとえば、行為における前腕の回外という「身体運動の概念」を持ち込んで線を引いてみよう。その線は一本しか引けないはずである。そして、あなたは鍵を使ってドアを開ける行為の記憶を想起したはずである。一方、失行症患者や発達障害児では前腕の回外の運動覚と鍵を使ってドアを開ける行為を関係づけることができない。それは「脳のアナロジー」の変容や発達不全に起因している可能性がある。

 人間はさまざまな比較によって自己と世界の関係性をつくってゆく。比較は「認知発達の構造アライメント(ベントナー)」なのだ。それによって同じ世界が違う世界に見えるし、感じられるようになるし、行為の意図が違ってくる。それが「脳の学習」の再出発点となるだろう。

  1. 1)浅場朱莉:自己と他者を認識する脳のサーキット.共立出版,2017.
  2. 2)Okamoto Y:Attenuation of the contingency detection effect in the extrastriatebody area in autism spectrum disorder. Neuroscience Research, 87 p66?76,2014.
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