認知神経リハビリテーション学会

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メッセージNo.91 戸惑いの感覚

リープマン
図1 René Magritte『複製禁止Not to Be Reproduced:エドワード・ジェームズの肖像,1937』

 人間のアイデンティティは「顔」である。
ルネ・マグリットの絵画『複製禁止』を見てみよう(図1)。

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 大きな鏡の前に一人の男が立っている。その男は鏡を見ている。だが、鏡に写っているのは男の後姿である。
 男は鏡に向かって立っているのだから、男には自分の顔が見えなければならないが、後姿しか見ることができない。
 男は自分の顔を見ようとしても見えないということだ。同様に、男の背後にいる我々も、相似した男の後姿と鏡に写った男の後姿しか見ることができない。
 つまり、男も我々も、男の顔を知ることができない。視覚的に男が「誰」なのかを特定することができない。
 我々が、このルネ・マグリットの絵画『複製禁止』を見て”戸惑う”のは、視覚の「物体を特定する(アイデンティファイする)能力」を消去してしまうからである。

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 視覚は「物体を特定する(アイデンティファイする)能力」が高い。これは視覚の機能特性であり、対象を客観化する能力である。だから、顔を見れば瞬間的に誰なのかがわかる。
 聴覚にも同様の機能特性がある。声を聞けば誰なのかがわかる。音楽を聞けば、メロディから曲目がわかる。歌手の声を自分の声に変えてカラオケで歌うこともあるが、メロディは曲目をアイデンティファイしている。
 味覚や嗅覚にも同様の機能特性がある。食べ物が何か特定できる。ただし、味覚や嗅覚は水やジュースやアルコールの差異は瞬時に簡単に特定するが、複数の日本酒やワインの銘柄と一致させるのは難しい。
 一方、触覚の「物体を特定する(アイデンティファイする)能力」は低い。運動覚の助けが必要なことが多い。リンゴを握るとリンゴだと特定できるが、目を閉じて他者と握手しても、それが誰なのかはわからない。

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 五感を「物体を特定する(アイデンティファイする)能力」という観点から考えると、遠隔的な感覚受容器である視覚や聴覚が優れているように思える。しかし、接触的な感覚受容器である味覚や触覚には「リアルな実感」が伴う。直接性な「生の感覚」が立ち上がる。
 運動麻痺や体性感覚麻痺によって「物体を特定する(アイデンティファイする)能力」が大きく低下する。患者たちは手足が物体に触れてもリアルな実感や生の感覚が感じ取れない。

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 さらに、人間には「出来事を特定する(アイデンティファイする)能力」がある。これは五感が「多感覚統合」されたものである。それによって「私の経験」を感じることができる。
 運動麻痺や体性感覚麻痺によって「出来事を特定する(アイデンティファイする)能力」も大きく低下する。患者たちは手足が物体に触れても「多感覚統合」が生じず、身体の動きや自己の経験を「私の経験」として感じ取れない。

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 つまり、リハビリテーションの臨床において、患者たちは体性感覚の「物体や出来事を特定する(アイデンティファイする)能力」が消去されていることに戸惑っている。これを「戸惑いの感覚(sense of feel lost)」と呼ぼう。セラピストは、この患者の苦悩を理解し、その意味を解釈しなければならない。

 「戸惑いの感覚」とは、予測(知覚仮説)と結果(解答)の不一致であり、「手段や方法がわからなくてどうしたらよいか迷うこと」である。その回復のために、認知神経リハビリテーションでは「訓練(治療)」に各種の「道具(訓練器具)」を使う(介入させる)のである(認知運動療法)。あるいは、私の経験として脳に長期記憶されている「行為の記憶」に訓練の触覚や運動覚を重ね合わせるのである(行為間比較)。

 セラピストのアイデンティティは「訓練(治療)」である。
 「脳の鏡」に何を写し出すか(行為の何を表象するか)が回復への鍵となる。

文献

  1. 1)増成隆士:思考の死角を見る−マグリットのモチーフによる変奏.勁草書房,1983.
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