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メッセージNo.98 新しい疼痛の仮説を提案する
−「身体所有感の混乱による疼痛」と「運動主体感の混乱による疼痛」の可能性について

 今、自分自身が「五十肩」の再発で苦しんでいる。肩関節周囲炎に特有な結髪結帯の動作時に疼痛が発生する。実際、肩関節の外旋や内旋の最終可動域では肩のインピンジメント(肩峰と大結節の衝突)が起きて痛い。上部に右手をリーチングしようとすると肩甲骨の代償運動が出現する。右側臥位では寝るのが困難(夜間痛ではない)。運動イメージ上で疼痛は生じない。肩関節周囲筋と肘関節の筋の筋萎縮が進行している。野球のボールは外旋不足で投球できない。ゴルフも無理である。ただし、上肢の運動はすべて可能で疼痛もない。だから、日常生活の行為は自立している。

 もう再発してから3ケ月になる。その間、自分自身の疼痛の発生状況を分析し、次のような面白い現象に気づいた。


台所で右手が熱い鍋に触れて上肢の逃避反射が生じた時に疼痛が発生した。
台所で右手で持っていた食器がすべり落ちそうになり、反射的に制御すると疼痛が発生した。
右手でカバンのジッパーを閉めていると重いので、急に力を入れると疼痛が発生した。
両手で車を運転中に何かの拍子で不意にハンドルを切ると疼痛が発生した。
電車のつり革を右手で持って立っている時、不意な揺れを反応的に制御すると疼痛が発生した。
シャツを脱いで数メートル先の洗濯機に向かってアンダースローで素早く投げ入れると疼痛が発生した(手で持ったジャツは軽く、投げる瞬間に予想より力が入り過ぎた感じがした)

 この疼痛は通常の肩関節のインピンジメント(肩峰と大結節の衝突)により発生する疼痛とは違う。なぜなら、この疼痛は筋収縮によって発生するからだ。筋収縮が「強い鈍痛」に変化する。強い鈍痛が消えるまで5〜10秒かかる。痛くて言葉が出ないくらいだ。
 なぜ、筋収縮によって疼痛が発生するのだろうか? 筋収縮によって関節内圧が高まることで疼痛が発生するのであればすべての筋収縮時に発生するはずだが、反射や反応的な筋収縮が生じた時に発生している。つまり、この強い鈍痛は通常の上肢の運動(筋収縮)では生じない。

 Perfetti(2004)は「疼痛の原因は情報の不一致ではないか?」という仮説を提案している(Perfetti C ・Pante F・Rizzello C・Zernitz M:IL DOLORE COME PROBLEMA RIABILITATIVA. PICCIN,2016.近日、協同医書出版より翻訳出版予定!)。同様にMcCabe(2005)も疼痛やしびれが情報の不一致により生じるとしている。これは体性感覚情報に根ざした予測(運動プログラム・知覚仮説)と結果(感覚フィードバック)の不一致のことである。

 この「情報の不一致」という点から、自分自身の疼痛(強い鈍痛)を考察してみよう。

 強い鈍痛は、外乱後の反射的、反応的な運動プログラムの変更後の筋収縮時に発生する。外乱➡反射的、反応的な運動プログラム➡筋収縮➡疼痛発生の順である。そして、この筋収縮は適切な運動である。決して異常な運動プログラムではないし、異常な筋収縮でもない。
 ただし、「弾道運動(Ballistic movement・バリスティク・ムーブメント)」である。弾道運動は「フィードフォワード制御」で、感覚フィードバック制御のない「素早い筋収縮」である。急速な弾道運動は大脳皮質の運動指令が出力するのみであり、運動中の感覚フィードバックは生じない。
 また、弾道運動は意志によって止められない。熱い物体に触れると逃避反射が出現する。あるいは、つまずいて転びそうになれば上肢のパラシュート反応が出現する。そうした素早い筋収縮を意志的に止めることは困難である。不意な外乱に反応する度に筋収縮が生じることは自然な運動だからである。
 だが、こうした反射的、反応的な弾道運動を発現させているのは、一体、誰なのか? それが「私(自己)」であることは確かなのだが、外乱に対する素早い筋収縮は「私(自己)」が気づいた瞬間には既に発現している・・・。

 ・・・色々と考えたが、次のような解釈をしてみた。

 こうした外乱に対する反射的、反応的な弾道運動という運動プログラムの発動時には、「体性感覚フィードバックの予測(知覚仮説)」が困難なのかも知れない。予測は「結果の知識(KR)」となっている。運動プログラムに知覚予測が含まれていなければ、筋収縮と感覚フィードバックは大きな情報の不一致起こすだろう。そして、それは脳に取って、予期していない過剰な筋紡錘からのGTa情報が脳の第一次感覚野に流れ込んでいるということだろう(但し、GTa情報は無意識に制御されている)。

 要するに、運動野からの運動指令(筋収縮)は生じているが、「遠心性コピー(随伴発射)」は生じていないのではないか。だから、筋収縮と体性感覚フィードバックが不一致となり、強い鈍痛に変化しているのではないか。そして、この仮説はPerfettiやMcCabeの疼痛仮説(情報の不一致)と同じ解釈なのだろうか。それとも新しい疼痛の仮説なのだろうか。

 新しい疼痛の仮説を記しておこう。

 「外乱に対する反射的、反応的な弾道運動は意志によって止められない。その時、運動野からの運動指令(筋収縮)は生じているが、遠心性コピー(随伴発射・知覚仮説)は生じていない。だから、運動プログラムと感覚フィードバックは比較照合されない。その結果、脳で体性感覚情報の不一致が生じて、筋収縮が強い鈍痛に変わる」という仮説である。

 脳は、予期しない瞬間的な筋紡錘からのGTa情報の過剰な流入に対して、危険信号を発している。それが私の肩の疼痛のメカニズムだと考えられる。

 だが、一体、こうした反射的、反応的な弾道運動を発現させているのは誰なのか? それが「私(自己)」であることは確かなのだが、外乱に対する素早い筋収縮は「私(自己)」が気づいた瞬間には既に発現している・・・。

 要するに、私は、私の身体の筋収縮によって、私に疼痛が出現するという状況に陥っている。この悪循環のような疼痛現象には「自己意識」が関与しているように思われる。そして、この強い鈍痛は外部からやって来ていない。内部から生じているように思われる・・・。

 だが、外乱に対する反射的、反応的な弾道運動には予測命令がない。また、通常、弾道運動は「私の意志」が発動するとされているが(たとえば、素早くボールを投げる運動プログラム)、外乱によって発動することも多い(反射的、反応的な運動プログラム)。

 自己の運動指令によって筋収縮が発現するが、同時に予測命令(遠心性コビー・随伴発射)によって感覚情報が想定され、その予測指令と感覚フィードバックが一致するのが自己意識(身体所有感・運動主体感)によってである。しかし、運動野からの運動指令(筋収縮)は生じているが、遠心性コピー(随伴発射)は生じていないという状況は、自己の予測命令がないのに運動指令と筋収縮は生じている状況である。自己意識の基盤である予測命令のない筋収縮と感覚フィードバックは不一致のままである。

 ここで、2つの論文の図(モデル)を参考にしてみた。

自己運動予測による感覚フィードバックのキャンセルアウト
図1 自己運動予測による感覚フィード
バックのキャンセルアウト(Itaguchi,2018)

 一つは板口らによる「統合失調症は自動運動ではなく他者運動の予測障害と相関する」という考え方についての論文(Itaguchi Y., Sugimori E., and Fukuzawa K.: Schizotypal traits and forearm motor control against self-other produced action in a bimanual unloading task. Neuropsychologia, 113, 43-51,2018)に掲載されていた「自己運動予測による感覚フィードバックのキヤンセルアウト」の図である。この図では「予測がなければ、比較の結果でキャンセルアウトが生じないため、過剰な感覚フィードバックが脳に入力された」と感じてしまう(図1)。

 もう一つはHaggard(2009)、Gallagher(2000)、葭田ら(2016)による「身体感覚の生起モデル」についての図である(葭田 貴子・神谷 聖耶・田島 大輔:自分の身体の使い心地の心理学的・脳科学的計測.計測と制御,Vol55,No3,p252-258,2016)。このモデルでは予測と感覚フィードバックの比較における不一致が身体所有感と運動主体感の異常を引き起こすことが指摘されている(図2)。

身体感覚の生起モデル
図2 身体感覚の生起モデル
(Haggard,2009、Gallagher,2000、葭田,2016)

 これらの論文を読みながら、「身体所有感の混乱による疼痛」と「運動主体感の混乱による疼痛」があるのではないかと考えた。

 まず、「身体所有感の混乱による疼痛」における情報の不一致は「多感覚統合不全」に起因しており、それは同種感覚情報変換や異種感覚情報変換の異常、すなわち感覚受容器の空間情報や接触情報の細分化能力の低下と考えられる。これは自分自身の疼痛には当てはまらないと思う。ただし、肩の空間イメージと重量イメージは変容しているようだ。明らかに体性感覚イメージ上で左右差がある。左の肩は低く、軽い。右の肩は高く、重い。そんな風な左右差を常に感じる。

 一方、自分自身に生じている反射・反応的な弾道運動時の筋収縮後の強い鈍痛は、運動主体感における情報の不一致に起因している可能性が高いと考えた。「運動主体感の混乱による疼痛」は、弾道運動が外乱に起因した素早い筋収縮であり、予測(体性感覚の遠心性コピー・知覚仮説)が想起されていないため(結果の知識だけが想起される)、感覚フィードバックのキャンセルアウトがないまま、過剰な感覚フィードバックを感じ(情報の不一致)、それが疼痛を引き起こしていると推察できる。

 疼痛によって身体所有感や運動主体感が失われるのではなく、身体所有感や運動主体感の混乱によって疼痛が発生すると解釈すべきなのかも知れない。

 また、自己意識の基盤は「予測命令」である(Rodolfo R. Llinás, Sisir Roy:The ‘prediction imperative’ as the basis for self-awareness. Philos Trans R Soc Lond ,Biol Sci,May 12; 364,2009)。

 私の「自己感」は「予測」によって創られている。つまり、身体感覚に根ざした「予測脳」が自己なのだ。疼痛は、「自己が破壊されつつある」との警告(身体感覚情報の差異のメッセージ)なのだろう。

 したがって、疼痛のリハビリテーションは「身体所有感と運動主体感の回復」を目指すべきであろう。そして、治療対象は「行為の予測メカニズム」ということになる。

 新しい疼痛の仮説を提案してみた。日々、患者として疼痛を感じながら、セラピストとして自分の疼痛メカニズムを分析してみた。しかし、残念ながら未だ回復の兆しはない。突然、強い鈍痛に襲われるのが怖い。廃用症候群が進行している。いわゆる理学療法、コッドマン体操、マッサージなどは試みてみた。ダンベルやゴムチューブを使った腱板トレーニングはしていない。そろそろ『疼痛の認知神経リハビリテーション』を受けようと考えている。


 追記
 たとえば、足、膝、股関節のどこかが痛くて歩いている場合を考えてみよう。一応、歩くことができていても、床面が不安定だったり、不意に他者と接触して、姿勢バランスを崩し、それ自体が外乱となり反射的、反応的な運動プログラムとしての姿勢制御的な下肢の筋収縮が生じる。それは弾道運動(バリスティック・ムーブメント)による予測命令のない筋収縮である。下肢の運動器疾患の患者も、その筋収縮を下肢の疼痛と感じる可能性があるのではないだろうか。
 また、関節には多数の感覚受容器が存在する。Johanson(1991)によれば、これらの感覚受容器は反射的な関節の保護作用の役割を担うとされてきたが、現在では関節の安定性にかかわる予測的制御として非常に重要な役割を担うと考えられるようになった。これは関節の感覚受容器の役割についてのパラダイム転換だ。
 そして、Perfetti(1998)によれば、関節の感覚受容器の予測的運動制御に異常を来した「関節症(変形性股関節症など)」では、筋の予測的制御が遅れ、荷重時の緩衝機能が失われ、関節に微損傷が繰り返されて、疼痛を引き起こし、関節が破壊されてゆく。これも関節症の発症原因のパラダイム転換だ。
 このように関節の感覚受容器も筋の予測制御に関わっており、脳の予測メカニズムと疼痛の発生は決して無縁ではない。

 そして、第20回認知神経リハビリテーション学会(東京)のタイトルも「脳の予測」である。皆んなで論議し、新しい時代の「脳のリハビリテーション」を探求しよう。

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